田道伝説

48 ~ 48 / 553ページ
尾上町の猿賀神社(写真23)の縁起には、さらに古く『日本書紀』仁徳五十五年条に見える、蝦夷に敗れた上毛野君田道(かみつけののきみたみち)将軍の霊が、欽明天皇二十八年の洪水に際して白馬に乗って猿賀の地に流れ着いたという伝説が記されているが、これは坂上田村麻呂伝説などと同じく後世の仮託であろう。もっとも田道伝説は、先にも触れたように上毛野氏が大和政権による東北経営にかかわったという史実に由来するもので、『日本書紀』では「伊寺水門(いじのみなと)」に葬られたという(写真24)。この「伊寺」を「伊治城(村)」と同一地名とみて、今の宮城県北部の栗原郡とする説があるが、「伊治」の訓は近年「これはり(る)」であることが明らかになっており、それはやや苦しい。いずれにしろ津軽に来たというのは問題外であろう。

写真23 猿賀神社(尾上町)


写真24『日本書紀通證』巻之十六