曽我氏系図の復原

257 ~ 257 / 553ページ
津軽曽我氏については、平賀郡を中心として鎌倉時代から南北朝時代にかけての比較的豊富な文書が残されたことや、遠野南部家文書中の略系図(以下「曽我系図」と称する)の存在によって、その姻戚・伝領順をも含めた詳細な系図の復原が可能である。
 曽我系図初代時廣についてはすでに述べたが、その実在は文書では確認できない。曽我系図(写真117)では時廣の子は「小五郎真光」とされる。実名「真光」では文書にあらわれないが、承久四年の「北条義時書下状」(史料五五三)に「曽我五郎次郎」の親父が「曽我小五郎」であるとみえ、貞応二年の「北条義時書下状」(史料五五四)では「曽我五郎次郎惟重」の親父が「曽我五郎」とみえるから、それらの年代からみて曽我系図の「小五郎真光」は「(小)五郎」「廣忠」(史料五五一)にあたることは間違いない。

写真117 曽我系図