日の本将軍の多面性

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以上に述べてきたように、日の本将軍の呼称は鎮守府将軍と重複視され、室町幕府の北方政策の一端を担うような存在であり、一方では、東国の自立性を示すシンボルとして用いられていた呼称でもあった。史料としては、後者の方が先行していることから、内には後者の側面を、外には前者の側面を強調したのではないかともいう。
 また、史料として日の本将軍が頻出するのは一五世紀以降のことであり、これはアイヌサハリン進出が達成された時期に一致しているという。これに注目したとき、日の本将軍の「日の本」は、『諏方大明神画詞』(史料六一七・写真162)に見えるアイヌの三分類の一つである「日ノモト」を背景とするもので、アイヌの支配者という意味で往時をしのんで登場したという可能性も指摘されている。

写真162 『諏方大明神画詞』

 安藤氏の日の本将軍呼称については、なお検討を要する課題であるように思われる。