女性たちの戦場

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近世初頭の史料を手掛かりに、戦国時代の女性達の姿についてみることにする。
津軽徧覧日記』の天正十三年(一五八五)四月の記事によると、一般の女性達は戦が始まると城の中に避難し、そして攻め寄せてきた敵兵に対しては、塀際で湯を沸かし、その熱湯を杓(ひしゃく)で汲んで敵兵に掛けて城を守るというような話が残されている。城を守るという行為は、一見すると単純に男性だけが担っていたように思われるが、このように男性だけでなく、女性達にも相応の役割と分担が与えられていたのである。
 また『津軽一統志』の巻五「村上南部勢追討竝岸野武勇之事」の記事と、『津軽徧覧日記』には村上理右衛門という侍の妻の話として、妻は「小長刀」を持ち、「下女四、五人」を引き連れて夫とともに戦い、理右衛門は敵の首を十一取ったが、そのうちの二つの首は、妻が討ち取った敵のものだという。さらに夫が取った首を馬の胸につけるように助言をしたり、怪我をした時には夫を連れて戻っているのである。首を馬の胸につけるのは、その首が身分の高い人間であることを意味し、その結果恩賞が多くもらえるようにする方法と思われる。
 さらに「由緒書抜」(国立国文学研究資料館史料館『津軽家文書』)によると、津軽平野の南部一帯で繰り広げられた六羽川での合戦(史料一〇二七)の中で、沖館(おきだて)城で起こった攻防戦の記事のように、女性が恩賞をもらったことを示す史料も残されている。佐藤平右衛門の女房が城内にいて、敵兵に石や臼を投げつけて、城に攻めてきた敵を実際に四、五人撃退したというものである。その働きに対し「女の働きは健気なる仕方と御感思し召され(女の働きとしては健気なるものであるとお感じになられて)」て、「弐斗」もらったというのである。しかもこれがのちにこの家の高として認められているのである。「佐藤源司家由緒書」は近世になって作られた史料であるが、このように女性も恩賞をもらっていたことは興味深いものがある。
 今までは戦国時代に生きた女性達は、何の力もなくただ逃げ惑い、周囲の状況に押し流されているだけであるかのような感があった。しかし実際には、戦国時代の女性達もまた城を守るために戦い、激しい戦場に赴いたという一面があったこともまた事実である。