「国日記」安永五年(一七七六)七月六日条には、堀越屋は先祖から代々年始御目見、染物御用相勤むとあり、古くからの御用染屋であった。安右衛門、五兵衛の名のりもあるがほとんどは軍兵衛を名のっていて、御用染屋としては最も長く続いている家系である。
『津軽古今偉業記』(一九六三年 青森県叢書刊行会刊)の堀越屋軍兵衛の項によると、堀越屋軍兵衛は越後の出身で、慶長年間(一五九六~一六一四)に来領。後、堀越村(現市内堀越)に移り、陣旗・幕染方秘伝を心得ていて、軍事にその染めた品を用いると常に勝利するので堀越屋軍兵衛の姓名を賜ったという。また弘前草創の際、紺屋町一円を預けられ紺屋一〇〇戸の取り立て方に功をなしたと伝えている。