津軽弘前藩の江戸定府の医官としては渋江抽斎(しぶえちゅうさい)(一八〇五~一八五八)が有名である。抽斎は藩医允成(ただしげ)の子として江戸に生まれた。伊沢蘭軒に医を学び、文化五年(一八二二)表医者となり、同年津軽弘前藩の秘薬「一粒金丹(いちりゅうきんたん)」の製法の伝授を受け、弘化四年(一八四七)に近習医に命じられた。この間に幕府の医学館躋寿館の講師も務めた。丹波康頼(やすより)の著で日本最古の医書『医心方』を復刻したほか、医学関係の著述として「素問識小(そもんしきしょう)」・「霊枢講義」・「護痘要法」などがある。また同江戸屋敷医官の宿直日記からの抄出『直舎(ちょくしゃ)伝記抄』を編集している。他方抽斎は考証学を市野迷庵、狩谷棭斎(かりやえきさい)に学び、安積艮斎(あさかごんさい)、小島成斎(せいさい)、岡本況斎(きょうさい)、海保漁村(かいほぎょそん)らの経学・考証学に通じた諸家と交流し、森枳園(きえん)、小島成斎らとともに『経籍訪古志』八巻を著している。『経籍訪古志』は日本で編集された漢籍の書誌であり、中国で真価が認められ、明治十一年(一八七八)上海で刊行されている。森鴎外による史伝『渋江抽斎』はその人となりと時代をよく伝えている。