地蔵信仰

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地蔵菩薩は釈迦の死後、弥勒(みろく)菩薩の出現まで衆生を救うという。観音菩薩と同じように身近な菩薩で、村の入口によく建てられた。六地蔵は六道(ろくどう)(地獄・餓鬼(がき)・畜生・修羅(しゅら)・人間・天)を迷う人間を救ってくれるという。月峰院(市内西茂森一丁目)わきの子安地蔵(こやすじぞう)は、妊婦が信仰すれば安産するといわれた。天明三年(一七八三)の飢饉の時に廃されたが、その後再建された。長勝寺構の黒門わきの夭化(ようけ)地蔵は、さまざまに姿を変えて化けるという(同前No.四四〇)。「津軽俗説選」には川倉地蔵堂(北津軽郡金木町)の賽(さい)の川原を、幼少で死亡した子が冥土の賽の川原に至り、地蔵を父母のように思って小石を積んで遊ぶ所としている。寛政年間(一七八九~一八〇〇)にはこのような地蔵信仰が行われていた。