巡幸と記念碑

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明治の初め、都が東京に移された後、明治天皇には、前後数回にわたって全国各地に巡幸をされた。特に明治五年から同十八年に至る間に集中的に行われ、北海道の一角にまで及んだ。後に全国各地に明治天皇の巡幸を記念した記念碑が建てられ、その数は千数百ヵ所に上ると言われている。
 弘前においても、これを四ヵ所に見ることができる。天皇巡幸の際のゆかりの地を「聖蹟」と呼ぶことがあるが、弘前の聖蹟に建てられた四基の記念碑は、それぞれの由来を記して現存している。青森地方裁判所弘前支部構内、弘前大学医学部附属病院構内、富田の稲荷神社前の清水(しつこ)のほとり、小栗山の千年公民館裏がそれである。

写真31 行幸記念碑
(青森地方裁判所弘前支部構内)

 明治天皇青森県に足跡を印(しる)せられた巡幸は、明治九年と十四年の二回であり、そのうち弘前に御立寄りがあったのは、十四年のことである。天皇の巡幸が、明治初期の十数年間に集中的に行われたことは、明治政府にとっても、これを受け入れた各地方にとっても大変な事業であったが、日本が近代に踏み出す上で大きな意義を持つものであった。

写真32 明治天皇