三 東奥義塾とキリスト教

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 明治五年(一八七二)の学制頒布により、日本の教育制度は大きく変わった。従来の旧藩学校などはいったんことごとく廃止となり、学校教育体制確立に向けた布達が次々に発せられた。それはすなわち教育内容や体制の一元化を目指す、教育における中央集権化のプロセスでもあった。その中にあって、弘前はむしろ私立教育が盛んだったところが大きな特色である。ここでは、弘前での私立教育のうち、明治初期の東奥義塾を中心に記述する。東奥義塾旧藩学校を継承して設立され、津軽地方の教育体制の中心であったとともに、同地方ヘキリスト教自由民権運動が広まる拠点でもあった(なお、東奥義塾に関連する研究及び研究史については北原かな子『洋学受容と地方の近代』岩田書院、二〇〇二年を参照)。