七年四月亀甲小学の設置によって、これまで大ざっぱに土手町を中心に弘前を南北に分けていた白銀小学と、和徳小学の学区が変更された。
白銀小学学区は、鷹匠町、江戸町(現中新町地区)、西大工町、駒越町、馬屋町、茂森町、片堀町(旧古堀町)、茂森派立、新寺町、在府町、相良町、本町、元大工町、塩分町、元長町、森町、覚仙町、鍛冶町、新鍛冶町、南北川端町などとなり、和徳小学学区は、和徳町、代官町、南北中瓦ヶ町、田代町、徒町、西川岸町、坂本町、南北柳町、緑町、徳田町、北横町、徒町川端町、萱町、南横町、茶畑町、茶畑新割町などである。
新設の亀甲小学学区は、亀甲町、田茂木町、田町、小人町、若党町、春日町、禰宜町、馬喰町、長坂町、笹森町、蔵主町、大浦町、東長町、元寺町などである。
もっとも、当時の学区は今日のように画然と分けられておらず、東長町から和徳小学に通学したり、親方町などでは白銀小学に通学する者が多かった。