学制実施当時、小学校のことを「小学」といった。小学は下等・上等の二等に分かれ、年齢満六歳に達すると下等八級に入学する。一年二級進級が建て前だから半年ごとに試験を受け、合格すると七級に進級、半年ごとに進級を重ねて、下等一級を卒業すると上等八級に入学する。上等小学も下等小学と同様で、修業年限は下等・上等とも四ヵ年である。
ほかに「変則小学」があった。学制第二八章に「教則順序ヲ踏マズシテ小学ノ科ヲ授クルモノ」と規定していて、小学発足当時の過渡期に必要とされた。白銀・和徳両校とも開設当時生徒の年齢差や学力差に悩んでいた。六歳から十四歳までの入学者があったというからそれも当然であったろう。その解決策として変則小学は設置された。八年四月亀甲小学に併置され、白銀・和徳両校の年長生を収容した。
このように発足当時の弘前内各小学は、学校経営に協力して当たった。和徳小学の発足に当たって、校具はすべて白銀小学から譲り受けたなど、その一例であろう。