なお、この時の弘前総町聯合会の議員は左のとおりである。議員席次による。
笹森要蔵 菊池定次郎 出町大助
桜庭又蔵 太田滝五郎 寺井純司
黒滝忠造 佐藤英司 平田忠之助
芝田忠三郎 竹内重兵衛 山川清隆
外崎覚蔵 野村勝太郎 三上昌浩
佐々木多吉 本多謙一 大高歳行
藤岡知言 岩庭近正 佐藤豊吉
桜庭又蔵 太田滝五郎 寺井純司
黒滝忠造 佐藤英司 平田忠之助
芝田忠三郎 竹内重兵衛 山川清隆
外崎覚蔵 野村勝太郎 三上昌浩
佐々木多吉 本多謙一 大高歳行
藤岡知言 岩庭近正 佐藤豊吉
通常聯合会の決算審議によると、明治十八年度は聯合会がわずか二日しか開会しなかったので、会議費が六四%しか消化しなかったこと、土木費も六四%しか消化せず、一一四円四七銭九厘も残した。この理由は、茂森町坂工事は到底予算内では実効を期しがたく、後年度に根本的改良を加えるとしている。そして二十年度には道路費四百二十円を予算化したのである。これら生活領域の問題は、どれが町会費負担か郡県費負担かで紛議が起きた。旧藩時代と比較して対応が話題になった。