弘前総町聯合会

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明治二十年度弘前総町聯合会は、一月二十一日から二月三日にかけて弘前高等小学校で開かれ、明治十八年度弘前総町費決算と二十年度予算案審議が行われた。十八年度の決算額は三三一円九〇銭六厘、前年度から二十年度への繰越金が七〇円四〇銭六厘あった。報告説明に、営業税の収入が予算一九三円九五銭に対し、五〇円三五銭四厘とあり、松方デフレ政策で不況に沈んだ弘前を表している。このことは戸別割でも見られ、公売処分した建物個数増があっても、一一円六一銭七厘の不足があった。
 なお、この時の弘前総町聯合会の議員は左のとおりである。議員席次による。
笹森要蔵   菊池定次郎  出町大助
桜庭又蔵   太田滝五郎  寺井純司
黒滝忠造   佐藤英司   平田忠之助
芝田忠三郎  竹内重兵衛  山川清隆
外崎覚蔵   野村勝太郎  三上昌浩
佐々木多吉  本多謙一   大高歳行
藤岡知言   岩庭近正   佐藤豊吉

 通常聯合会の決算審議によると、明治十八年度は聯合会がわずか二日しか開会しなかったので、会議費が六四%しか消化しなかったこと、土木費も六四%しか消化せず、一一四円四七銭九厘も残した。この理由は、茂森町坂工事は到底予算内では実効を期しがたく、後年度に根本的改良を加えるとしている。そして二十年度には道路費四百二十円を予算化したのである。これら生活領域の問題は、どれが町会費負担か郡県費負担かで紛議が起きた。旧藩時代と比較して対応が話題になった。