第五十九銀行は、
大正十四年(一九二五)時点で資本金一〇〇万円を持つ東北諸県で最大の
銀行であり、
青森県内に一五ヵ所と秋田県に四ヵ所、および函館に支店があった。同年の諸預金合計は一四八四万円余りであり、順調に増加していた。諸貸付金の合計は一九二七万円余りで、増加傾向にあった。同年の
第五十九銀行の貸し付けについては、荷為替による貸し付けの増加が顕著であり、比較的安全かつ利益の多い貸し付けであった。一般的な貸し付けの担保は表54のとおりである。最大の担保は土地、建物であり、株式、信用、商品がこれに次いでいる。
種 類 | 評価額(円) | 貸出高(円) |
国債,証券 | 323,691 | 250,406 |
社債券 | 379,266 | 277,239 |
株 券 | 5,400,652 | 4,164,004 |
商 品 | 1,020,538 | 705,483 |
土地,建物 | 19,931,963 | 6,201,987 |
船 舶 | 134,000 | 42,500 |
預金証書 | 337,243 | 243,057 |
保 証 | 9,150 | 9,150 |
信 用 | 2,049,545 | 2,049,545 |
合 計 | 29,946,050 | 14,103,375 |
弘前
銀行は、明治十五年(一八八二)設立の
弘前進新銀行が名称変更を行った
銀行として存在したが、
大正八年(一九一九)に
第五十九銀行と合併した。その後
大正十年(一九二一)に、
弘前貯蓄銀行が弘前
銀行と名称変更した。この弘前
銀行は
大正十四年に
関銀行を合併した。弘前
銀行の前身である
弘前貯蓄銀行や
関銀行は、いずれも弘前市の有力
商業者が設立した
銀行であった。
大正期には以上のほかに、
弘前商業銀行、
津軽銀行、
弘前宮川銀行があり、それぞれ、有力商人中心の
銀行、周辺地域の有力地主が設立した
銀行、有力商人の同族
銀行として活動していた。