弘前市青年団分団の結成

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四年(一九一五)九月、政府は内務・文部両省の共同訓令を発し、全国の地方自治体を督励して、青年団の指導育成や設置基準に関する政府の方針を明らかにした。訓令の骨子は次のとおり。
 「青年ヲシテ健全ナル国民、善良ナル公民タルノ素養ヲ得シムルニアリ……忠孝ノ本義ヲ体シ、品性ノ向上ヲハカリ、体力ヲ増進シ、実際生活ニ智能ヲミガキ剛健勤勉ヨク国家ノ進運ヲ扶持スルノ精神ト素養ヲ養成ス……」
 右の趣旨に沿って全国的に青年団の設置が急がれることになったが、弘前市は大正八年(一九一九)九月、各学区ごとに青年団の分団を作ることになり、分団長には小学校長が任命された。学区内の勤労青少年たちは早速入団を勧誘された。対象になった青少年は小学校を卒業したばかりの少年から二十歳までの青年たちであった。任意加入で強制を伴うことはなかったが、勤労青少年を雇用する業者に対して積極的な奨励を行って、加入を勧めた。市内各学区ごとに設立をみた市青年団分団は学区小学校長を分団長とし、その小学校の施設を利用して活動を始めた。平常の事業としては運動部と弁論部を置き、小学校の教員や学区内の有志が指導に当たった。指導方針は政府の訓令に明らかなように、勤労青少年に対して国家意識や公民精神を堅持させることにあった。また、事あるごとに神社の参拝や軍隊やその演習の見学などを行った。