国民体力の管理化

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徴兵には若い男性が必要だった。満州事変以降、日本軍が外地出征を本格化させるにしたがい、政府や軍当局にとって戦地に出ていく若い男性、それも健康な男性を育成することは至上命題となった。そのため政府は昭和十三年(一九三八)一月十一日、戦時体制下の健民健兵策を推進し、科学的な国民体力と精神の錬成を目的として厚生省を設置した。昭和十五年九月二十六日、厚生省は国民体力法を実施し、十七歳から十九歳までの男子の身体検査を義務化し体力手帳を交付した。十一月三日には戦時下の人的資源増強のため、一〇人以上の子供をもつ家族を「優良子宝部隊」として表彰している。厚生省のこうした事業は、健民運動と呼ばれていた。しかしこの運動は何も厚生省が独自に始めたわけではない。それ以前からも国民の体力向上や乳幼児の死亡率減少を意図した運動があった。厚生省の設置は、国家が国民の体力と健康も管理下に置くようになったことを意味したのである。
 こうした運動の一つに乳幼児愛護運動がある。これは乳幼児の死亡率減少のために実施された事業で、昭和二年五月五日、全国一斉に実施している。現在のこどもの日であることに注意したい。青森県でも乳幼児愛護デーに参加するため、四月二十一日付で各市町村長・警察署長・女学校長・小学校長・婦人団体長宛に具体的な事業方法を通達している。そして以後、毎年この運動が実施されている。
 弘前市立図書館所蔵の役場文書には、第七回乳幼児愛護週間に関する資料がある(資料近・現代2No.九四参照)。それによれば青森県学務部長が、昭和八年四月二十五日付で各市町村長と各小学校長宛に文書を通達し、五月二日から八日までの七日間、乳幼児愛護週間を実施して、思想の普及や保護施設の拡充をはかる事業を開催するものとしている。青森県社会事業協会青森県共済会が主催となり、県の婦人会、医師会が後援し、生後二年以内の乳幼児を発育標準により審査して、優良児三〇人と母親を表彰するというのである。

写真22 乳幼児愛護ポスター

 青森県は度重なる凶作と恐慌に見舞われたこともあり、他の東北地方と同様、健民運動が重要な意味をもった。上記事業の具体的な内容を見ると、栄養不良児と母親に対する救済対策を講じるなど、恐慌・凶作の癒えない当該期を象徴するような事業項目が並べられていた。市町村内の牛乳業者と協議の上、愛護週間実施中の牛乳価格を減免し、栄養不良児に配給する措置もあった。