不況と失業問題

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 昭和七年(一九三二)以後、弘前市では失業応急事業失業対策事業が実施された。この事業はその後も続けられた。昭和八年の事業実施に当たって、起債許可申請書が出されたが、その文書中に弘前市の経済状態が記されている。まず、労働者の失業状況について、次のように書かれている。
  (イ)労働者の失業状況
 本市ニ於ケル失業者ハ、七年度事業トシテ施行セル失業応急土木工事ニ依り頗ル好調ニ消化セラレ、地方商況ニ活気ヲ呈スル好影響ヲ見タルモ、事業ハ年度内ニ於テ完成竣工シ、一般的就労ノ途ナク、特ニ本年ハ次項記載ノ理由ニヨリ、不況ニ基因スル失業者群ヲナシ、求職者ノ数頗ル多ク、本市職業紹介所ニ於ケル失業者ノ数ハ、別紙三月末現在月報ニ示スガ如ク、推定数男一千五百人、女四百五十人、其他男六百三十人、女二百七十人、合計男二千百三十人、女七百二十人、計二千八百五十人ニシテ、内要救済者数ハ日雇男五百人、女百五十人、其他男百人、女五十人、合計男六百人、女二百人、計八百人ナリトス
(弘前市『昭和八年応急事業費起債関係綴』)

 このように失業者の多さが強調されているが、その理由としては、まず、中小企業の破綻、凶作の影響が挙げられ、次いで弘前市の周辺地帯である西、北、南津軽郡が水害を受け、購買力が減退していることが指摘されている。また、満州事変の勃発に伴い、市内に所在した第八師団が出動し、市内が寂寥を感じさせる状態であることが指摘されている。
 応急事業の内容としては、(1)道路改修、(2)橋梁架替、(3)貯水池新設、(4)運動場整備があった。