時敏小学校焼失

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五年六月十五日午後三時、時敏尋常高等小学校から出火、同校を全焼して同三時半鎮火した。三〇分間で校舎が全焼したのだから猛火の様子が想像できるであろう。当日は日曜日で、校内には日直の女教員が一人しかおらず、発見が遅れた。火事の発見者は道路一つ隔てた玉成高等小学校の日直教員で、電話で知らせようとしたが通ぜず、走って報知したが、そのときは校内は火の海で手の施しようもなかった。出火の原因は不明で、一説には衛生室に下げているトラホーム治療用の洗浄薬の入ったフラスコを通過した太陽光線が熱を発し、それが薬物を爆発させて大事に至ったのではないかとも言われた。水の入ったフラスコが強烈な凸レンズの役目をしたというのである。電話不通や出火原因不明などで、一時不審火として騒がれたのであった。
 市は翌十六日校長たちを招集し、協議の結果、時敏尋常高等小学校生徒児童一六〇〇人を次のように分散収容し、二部授業を行うことにした。尋常科第一・二学年-和徳小学校、第三・四学年-朝陽小学校、第五・六学年-城西小学校。高等科・実科女学校生徒-旧公会堂。市当局は二部授業により学力の落ちることを心配してこれが解消に努め、仙台税務監督局に旧歩兵第三一連隊兵舎の借り入れを交渉した。その結果、九月一日の第二学期から全校生徒児童を同兵舎に収容して授業を行った。市は時敏校の再建に取りかかり、翌六年七月四日、新校舎が落成した。

写真52 時敏尋常高等小学校校舎(昭和6年7月落成)