昭和三年(一九二八)四月十八日、弘前幼稚園はいわゆる「富田の大火」で第一大成小学校とともに焼失した。出火はその日の午前十一時半ごろで、幼稚園では火事だという知らせを受けてすぐに園児を帰宅させたので、負傷者その他の事故はなかった。火の回りが早く、園舎はもとよりすべての書類も焼失した。直ちに善後策を協議し、住吉町の護国館を借用して保育を継続した。幼稚園新園舎が竣工したのは四年七月である。したがって昭和三年度卒業者は仮園舎の護国館で卒園式を挙行した。この年の卒園者で弘前幼稚園卒園者は一〇二八人となって、一千人の大台を超えた。これは県内幼稚園最初の快挙であり、関係者は盛大に祝ったのであった。
新園舎の落成式は四年七月四日に挙行された。建築場所はこれまでと反対の第一大成小学校の西側とし、同校とは廊下で結ばれていた。総坪数九六・二五坪、遊戯室三五・七五坪、保育室二四坪、遊具室一六・五坪、職員室四坪、休養室四坪、玄関八坪で、落成と同時に移転して保育を開始した。落成竣工を祝って同園卒園者および父母有志は滑り台、ブランコ、砂場を備え付け、雛人形、五月人形、幼児の家一屋を寄贈した。