時局が険しくなっていくにしたがって、全国の青年団、女子青年団、少年団に対し、統合強化する方針が打ち出された。新体制下にあって青少年の自発的創意を発揚し、時局に即応した修練を与えもって高度国防国家建設に資するというのがその掲げた目標であった。そのため、文部省は指令を与えて、昭和十六年(一九四一)一月十六日、大日本青年団、大日本女子青年団、大日本少年団連盟、帝国少年協会といったすべての青少年の組織体は一つに統合されて、「大日本青少年団」が結成された。
これを受けて同年三月十七日、本県青少年団の結団式が県議事堂において行われた。参加した団体は、県単位の団体一、郡単位の団体八、市単位の団体三、町村単位の団体ほか、青年学校単位の青年団および女子青年団四四一、国民学校単位の少年団四三〇を数え、統合された団体数は一四六八、団員数は青年団五万人余、女子青年団四万人余、少年団一二万人余となり、計二一万人余の県内青少年は上から統制される組織体にまとめられた。しかし、これは戦時中の諸団体がそうであったように、内容より表面上の形式面が重視された。青森県青少年団長は上田誠一知事、副団長は進藤憲三(予備役大佐)、中野四郎県労務課長が当たった。