婦女子の身売り

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また、生活困窮による悲惨な女子人身売買とその類似行為があった。昭和六年から七年五月までの一年半の統計は次のようになっている。業種は芸妓娼妓酌婦女工、その他で、芸妓五四四人、娼妓五〇二人、酌婦一〇二九人、女工七〇五人、その他八三八人の合計三六一八人で、このうち弘前地域は六一七人、特徴的なのはその他に分類された職種に二九八人が属していることと、女工が一六三人で、黒石地域の一六九人と合わせると三三二人になり、県出身者の約半分を占めていることである。そしてこの状況が昭和九年、十年といっそう深まっていき、悲劇的な十五年戦争の基盤となったのである。
 青森地方職業紹介事務局の調査では、昭和七年と九年の青森県出稼婦女子の推移は次のとおりである。
        昭和七年    昭和九年十月現在
 芸妓     四七五名     四〇五名
 娼妓     五〇九名     八五〇名
 酌婦     八三二名    一〇二四名
 女給     九一七名     九四五名
 女工    一一一八名    一四二七名
 女中其他  一一〇三名    二四三二名
  計    四九五四名    七〇八三名
出稼婦女子郡市別調 昭和九年十月十日現在
      芸妓  娼妓  酌婦   女給   計
 弘前市  四三  八〇  八六  一二四  三三三
 中津軽郡 一七  五四  八一   八五  二三七
 これらの出稼ぎ原因はほとんど経済的なもので、彼女らの前借り金は、芸妓は最高二〇〇〇円から最低二〇円で平均三七〇円、娼妓は三〇〇〇円から三〇円で平均八三〇円、酌婦は一五〇〇円から六〇円で平均三二五円だった。

写真92 当時の弘前の遊郭