女子高等教育機関の整備

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弘前市における女子高等教育機関は、戦後、初めてその発足をみた。すなわち、昭和二十一年(一九四六)五月一日、専門学校令により柴田女子実業学校専攻科が、三年制の東北女子専門学校に昇格したのがそれである。同校の母体は、大正十二年四月に開校された弘前和洋裁縫女学校である。学科は被服科、生活科の二科で、定員はそれぞれ五〇人であった。同校卒業者には、生活科は家庭科家政及び保健、被服科は家政科被服の中学校、高等学校の教員資格が与えられることになっていて、二十一年七月二十五日、生徒数一三一人で発足した。
 また、昭和二十一年六月、弘前女子厚生学院が、弘前女子厚生専門学校に昇格し、中学校、高等学校の保健体育の教員を養成した。なお、女子厚生専門学校は昭和三十一年三月三十一日で廃止され、同校は各種学校弘前女子厚生学院に戻った。
 さらに、明治十九年六月に弘前教会内に創設された来徳(ライト)女学校を母体とする私立弘前女学校は、昭和二十一年四月、弘前聖愛高等学校と改称、同時に専門部を併置した。これは外国人教師による実用英語の習得をねらいとするものであったが、二十二年には二ヵ年制の専攻科とし、他日の短期大学昇格の足がかりとした。