戦後の社会教育活動の一つに、PTAの結成と活動が挙げられる。昭和二十二年三月五日、文部省はGHQの指導のもとに「父母と先生の会-教育民主化の手引」を発表し、PTAの結成奨励に努めた。本県では県の教育民生部が県内各学校に対し、従来の父兄会をPTAに改組するための指導を行った。本市においても二十二年末までにすべての小学校でPTAが発足した。
各校PTAが本格的な活動を開始しようとするとき、一校のPTAのみでは達成しがたい問題も多く、したがって各校PTAの横の連絡が何よりも必要とされた。このため、二十二年六月十八日「弘前市連合父母と教師の会」が組織された。この日午後七時、和徳小学校に各校PTA関係者五十余人が参集、会則決定、役員の選任を行った。会長は竹内文作(和徳小PTA会長)、副会長島口重次郎(第一大成小PTA会長)、神英造(時敏小校長)、監事竹内助之進、戸沢武が選任され、常任理事には市内各校から教師側一人、父兄二人ずつが決まった。これが今日なお活動を続けている弘前市連合PTAの発足である。
市連PTAは、発足直後から「PTAスクール」を各校持ち回りの輪番制で毎年開催してきた。これは各単位PTAの活動や在り方について運営協議会の名のもとに開催されたものである。二十三年十月二十七日城西小学校で開催された「PTAスクール」は、県教育委員会との共催であったためか、参加者は一四〇〇人を超えた。
また、市連PTAは「市内小学校合同学芸会」を主催し、三〇円の入場券が発行されたが、その収益金は「少年図書館」設置の資金として積み立てられ、継続されて、この少年図書館は弘前図書館に特設されることになる。