弘南バス労組(一四〇人)は昭和二十一年の組合結成後、初めてストライキを二十六年五月五日から一週間にわたって行った。ストライキの目的は賃上げと冬期の雇用問題だったが、組合側の経験不足と会社のスト破り要員によって組合側の敗北となり、その後、会社の組合弾圧が続いたので、同年十月二十四日、上部団体私鉄東北地方連合会に加盟した。この東北地連は、二十二年十一月、弘南鉄道労組らの働きかけによって日本私鉄労働組合総連合会(私鉄総連)の地方組織として結成されていた。
戦後の急激なインフレの中、各組合は飢餓突破の賃上げ闘争に立ち上がり、弘南鉄道労組もたびたび青森地方労働委員会に提訴し闘ったが、交渉は難航した。三十年二月には労働協約の完全締結を求めて、東北地連六組合と共闘も行った。