高度経済成長の終焉

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昭和四十六年(一九七一)に、アメリカのニクソン大統領は、金とドルの交換停止を主な内容とする声明を発表した。このことによりドルの円に対する価値が下がり、円高となり、日本の輸出が不利となって景気が後退した。これがニクソン・ショックである。
 次いで、昭和四十八年(一九七三)に第一次石油ショックが発生した。これは、第四次中東戦争の勃発に伴い、アラブ産油国が石油を武器とし、石油価格を大幅に引き上げたことによる。この影響は、ニクソン・ショックと重なり、日本経済に深刻な影響を与え、高度経済成長は行き詰まった。また、石油ショックが発生した昭和四十八年には狂乱物価といわれるほどのインフレーションが発生し、また、昭和四十九年には日本経済は実質でマイナス成長となった。
 その後、昭和五十四年(一九七九)にイランにおいてホメイニ革命が起こり、また、翌年にイラン・イラク戦争が始まると、石油輸出国機構(OPEC)は、昭和五十四年と五十五年にかけて、段階的に石油価格を引き上げた。一バーレル当たり一二ドル台であった石油価格は一バーレル当たり三四ドルに上昇した。これが第二次石油ショックである。こうした石油価格の上昇は、日本企業に種々の対策を余儀なくさせた。こうした経過は日本高度経済成長を終焉させ、安定成長への転換を促した。
 安定成長下の日本経済は、輸出拡大や企業の減量経営の徹底、財政支出増などによって当初の不況を克服し、経済大国として好調な経済運営を続けた。昭和六十年のアメリカでの五ヵ国蔵相・中央銀行総裁会議におけるプラザ合意による円高の容認は、日本バブル経済を発生させるに至った。しかし、このバブル経済は平成期に入ると崩壊し、長期の停滞状態に入ったのである。