新聞紙上でも合併論議が頻繁に行われる中で、昭和四十年(一九六五)八月に各農協で総会(一二農協では臨時総会)が開催され、二六農協のうち、一農協(新和)を除いて二五農協(清水森、和徳、松木平、十腰内、藤代、堀越、小栗山、弘前畜産、豊田第一、清水りんご、弘前市、独狐、鬼楢、東目屋第一、高杉、千年第一、薬師堂、悪戸、船沢、三和、東目屋、小沢、豊田村、下湯口、豊田第二)の合併合意が成立した。
同年八月三十一日、設立委員会が開催され、組合長斎藤与一(さいとうよいち)(千年第一)、副組合長藤田文正(ふじたぶんせい)(藤代)、専務理事菊池正英(きくちまさえい)(和徳)、りんご担当常務石岡国雄(いしおかくにお)(下湯口)が選出された。
こうして昭和四十年(一九六五)十月一日、二五の単位農協が合併し、弘前市農業協同組合(組合員七四五八人)が誕生し、県内一の大型農協がスタートした。また、同年十二月二十七日婦人部(部長小林澄子)、翌二十八日青年部(部長石戸谷大一)が発足した。結成時、婦人部は二四〇二人が同四十二年末には五七五九人、青年部は二四七人が年度内には八六一人に急増するなど、勢いが見られた(前掲『弘前市農協20年史』)。
写真183 城東団地にマンモス農協スタート(昭和40年)