りんごの自由化と産地の対応

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昭和六十年代からの国際化・自由化の下でりんご産業も、他の農畜産物と同様に存亡の危機に立だされている。特に、平成時代に入り、同二年(一九九〇)りんご・ぶどう・パイナップル果汁、同三年オレンジ生果、同四年オレンジ果汁の輸入自由化に続いて、同六年りんご生果の輸入などに象徴されるように、すべての果実が輸入自由化品目となり、さらに、同七年からスタートしたWTO(世界貿易機関)体制の中で果実の輸入自由化と国際化がいっそう進展するようになった。
 自由化品目の中で早くから自由化されていたりんごなどの果実類は、実際には植物防疫法により、病害虫侵入の恐れのために輸入は禁止されていた。りんごの生果については、昭和四十一年(一九六六)から自由化品目となっていたが、病害虫検疫のために国内市場に参入することはなかった。しかし、平成五年(一九九三)ニュージーランド産、同六年アメリカ産りんご、同九年フランス産、同十年オーストラリア・タスマニア産りんご、同十一年アメリカ産ふじの輸入が解禁となるなど、りんごを含めて果実の全面的輸入自由化時代に突入した。
 国内のりんご生産量は、一時、一〇〇万トン前後で推移していたが、平成時代に入り九〇万トン台に低下している。しかし、津軽・弘前地域が全国に占める「りんご王国」の地位は変わらず、今後もりんごはこの地域の重要な農産物である。とはいえ、青森県のりんご生産量は減少傾向にあり、この背景には、バブル崩壊後の消費不況、りんご輸入の影響、生産者手取り価格の減少、さらには高齢化・後継者難から傾斜地だけではない平地りんご園の放棄地も増加するなど、新たな困難に直面していることが挙げられる。
 外国産生果りんごの輸入は解禁されたが、実際には、他の農畜産物と異なって、輸入は増加しておらず、むしろ激減する傾向にある。その理由は、輸入りんごの消費性向と防虫にかかわる消毒作業のコスト高が挙げられる。そのために輸出攻勢をかけたいアメリカは、日本の植物防疫法が障壁になっていることを重視し、その緩和を迫る行動に出ており、りんご生産者の心配の種となっている。アメリカの対日りんご輸出戦略は国内における「ふじ」の増産とそれを背景とした輸出にあり、新たな産地対応策が求められている。
 青森県が発表した平成十七年(二〇〇五)を目標年次とする「県果樹農業振興計画」(同八年・一九九六)によれば、今後の基本方針として、①園地の若返り事業等の産地体制の整備強化、②果実の流通・加工の合理化、③果実の消費拡大、④輸出の拡大の四点が掲げられている。特に、マーケティング面での農協と商人系との協力、健康・美容指向とを結び付けた機能性食品としてのりんご消費の宣伝、東南アジアやアメリカヘのりんご輸出の拡大など、積極的な取り組みが「りんご王国」を発展させるために求められている。

写真187 青果市場風景