昭和三十八年(一九六三)四月一日、高杉小学校と独狐小学校が合併し、新たに弘前市立高杉小学校を創設した。これは弘前市教育委員会が三十七年六月、教育施設整備五ヵ年計画を発表し、学校統合整備、危険校舎解消などを五ヵ年の間に積極的に押し進めようというもので、その第一着手が高杉・独狐両小学校の合併であった。
両校の合併は、最初明治十六年(一八八二)六月に行われ、同三十年(一八九七)一月に分離。大正十三年(一九二三)六月再び合併、十五年(一九二五)六月に分離していたもので、両校は同じ高杉村でありながら、政争が絡んで、これまで合併と分離を繰り返していた。今回は三回目の合併で、市教委内部にも成果を危ぶむ声もあったが、合併は両校学区民の声をよく聴き、十分根回しの上で行われた。
両校とも老朽校舎だったため新敷地に校舎を改築することにし、三十八年九月高杉字神原七番地一に鉄筋二階建て校舎を建築、四十一年八月に完成した。新発足の高杉小学校は一八学級編成、初代校長に大瀬秀四郎が就任した。