弘前中央高校が、校舎の改築に先立って講堂を建設したことはすでに述べたところであるが、出来上がってみると「塵捨て場に鶴がまいおりたようなもの」という感想が出るほどに、老朽校舎と際立った対照を見せることになった。また、新講堂建設によって校庭も狭隘となった。
そこで、弘前中央高校では、隣接していた和徳中学校(三十三年、市村合併により第一中学校へ統合)の敷地を買収するよう県に働きかけ、校地を広げるとともに、三十三年、第一七代校長として赴任してきた山辺将二郎は一計を案じ、危険校舎となった本校舎を避け、旧和徳中学校の校舎を授業に使用せざるを得ないという既定の事実をつくって改築を促進させようとした。これが功を奏したのか、大正十一年の建造になる校舎の南東部分が解体され、三十五年から三十八年にかけて、管理棟、図書館(独立棟)、特別教室棟、体育館が順次竣工し、さらに四十一年にはプールも完成し、これで弘前中央高校の環境整備は一応の終了を見ることになった。
四十九年、北西側に残っていた木造校舎に代わって鉄筋四階建ての新校舎が建てられ、ここに弘高女時代からの校舎はまったくその姿を消し、わずかに正面から見える桜の老木が往時の名残をとどめるにすぎなくなった。
五十五年九月二十六日、創立八十周年記念式典が挙行された。式典では、弘前中央高校八十年の歴史を中心とした高谷勝敬校長の式辞に始まり、旧校歌の合唱され、歴代校長・PTA会長・同窓会長で永年勤続職員へ感謝状と記念品贈呈など盛大であった。