輝く弘前工高のスポーツ

661 ~ 662 / 965ページ
弘前工業高校の歴史をひもとくとき、工業界における活躍はもとより、スキー、ボクシング、重量挙げなどの運動やスポーツによって刻まれた輝かしい業績を見逃してはならない。
 昭和五十一年、創部五十年目にして硬式野球部が甲子園初出場を果たした五十一年春の選抜高校野球選手権大会では、記念すべき初対戦に岡山東校と当たり、三対二で惜敗したものの、その後も五十五年夏(熊本工校に五対〇で敗退)、六十年春(報徳学園に七対六で敗退)、六十三年夏(宮崎南校に八対四で敗退)と出場したが、初戦突破はならなかった。甲子園初勝利は、翌平成元年夏に連続出場を果たしたときで、沖縄石川校を五対一で下したが、二戦目(三回戦)の仙台育英校には二対一のスコアで、惜しくもベスト・エイト進出はならなかった。
 次いで、バレーボール部の活躍も鮮明に記憶に残るものである。五十二年に全国高校バレーボール選手権大会で初優勝を飾り、さらに全国高校総体、あすなろ国体でも優勝し、前人未踏の三冠を達成した。その功績で『東奥賞』が授与されている。また、体操部が新体操で、五十二年のインターハイ、あすなろ国体に続き、五十三年のインターハイ、国体でも優勝して二年連続二冠の偉業を成し遂げ、全国に「弘工高ここにあり」とその名声を轟かすことになった。その他、紙幅の都合で書き切れないほどの活躍が弘前工業高校には燦然と輝いている。

写真204 弘前工業高校あすなろ国体で優勝(昭和52年10月6日)