昭和三十年三月弘前市と中津軽郡一一ヵ村の合併に伴い、市連PTAも中郡連合PTAの大部分と合併し、三十年七月三日城西小学校において合併後初めて総会を開いた。総会は市政に対する思惑も絡み、論議紛糾し議事は混乱をきわめた(会長に嘉瀬英夫を選任)。混乱のもとは新市の学校と旧市の学校の格差是正の問題であった。
新市・旧市の格差是正問題は長く尾を引き、合併以来十年間ほど市教委はこれにかかりきりであった。たとえば校舎改築では新市を優先し、校具の備え付けなども同様とするなど気を遣った。一方、市連PTAも地域間の親睦交流活動を活発に行った。市連PTA主催による単位PTA対抗野球大会および卓球大会など、合併以後も継続開催が決められ、スポーツ交流によって新市・旧市の一体化が促進された。
さらに、市連PTAの青少年健全育成に関する活動もめざましいものがある。昭和三十七年七月、市連PTAは単位PTAから選抜された中学生二人、小学生二人を対象として「子ども会指導者講習会」を大鰐町清川ヒュッテで開催し、子ども会結成に大きな役割を果たした。このような連合PTAの行事も、新市・旧市の格差是正に力を尽くしたのである。