市民会館の設置

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昭和三十九年(一九六四)五月一日、弘前市民会館が設置開館した。これまで弘前には、音楽演劇・舞踊等の文化団体が数多く活動しながら、その発表の場がなかった。発表場所として弘前中央高校講堂が借用されたが、当時、靴のまま入場できて、しかも椅子席の設備のある講堂は中央高校しかなかったからである。しかし、学校の講堂では学校側の都合によって借用不能なときもあり、また舞台も狭く、なにかと不自由を感じることが多かった。それだけに市民は、発表の場としての会場設置を要望していたが、それにこたえて設置されたのが市民会館である。
 設置場所は弘前公園三の丸・下白銀町一番地六。鉄筋コンクリート造三階建て。大ホールの客席は一三〇〇席、補助席一〇〇席。舞台一四・四メートル×一六メートル×八メートル。楽屋、投光室等を備えた本格的な舞台である。後にオーケストラピットも設置され、多様化する舞台芸術文化活動に対応できる設備となった。