建設反対運動の機運

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しかし、この間、青森県自然保護の会(会長・奈良典明弘前大学教授)、日本野鳥の会弘前支部(支部長・小山内信行)、秋田自然を守る友の会などから青秋林道中止の要望書が両県に出されていた。三団体は「白神山地一帯は人為的損壊を避け、保護・保全を図り後世に残すべき遺産である」として、工事の一時中止および抜本的見直しを要望した。
 具体的な理由として、地形・地質面では、白神山地は第三紀グリーンタフ層(緑色凝灰岩層)最下部の露出が見られ、学術的に重要な地域である。また、急傾斜地が多く、がけ崩れや山地崩壊の多発地帯で林道建設の困難と完成後の維持・管理や事故防止対策が難しい。生物の面では、日本海側ブナ林は世界的視点から見て高い学術的価値があり、保存すべきで、天然林の伐採は北方系の山地性植物の消滅につながる。さらに、日本で初めて繁殖が確認されたシノリガモなど各種鳥類やヤマネなど哺(ほ)乳類の生活分布に大きな影響を与える。
 経済的な面では、県内でも有数の多雪地帯であり、冬季間の利用が不可能。このほか雪崩や土石崩壊なども考えられ、経済的効果は期待しにくい。環境アセスメントの面では今回の計画策定計画に際して実施しておらず、資料とした「広域基幹林道青秋線全体計画調査報告」も不十分なものと指摘した。
 しかし、工事は進行されたため、より強力な反対運動が必要となり、中心人物の根深誠(ねぶかまこと)は弘大の奈良典明(のりあき)とともに全県運動を構想、五十八年四月「青秋林道に反対する連絡協議会」を結成した。これには県下の一〇団体が参加し、青秋林道建設反対の態勢が整えられた。根深は人脈を利用し、日本自然保護協会に訴え、さらに日本山岳会の自然保護委員会に働きかけた。
 これらの運動がやがて国会の問題となって、五十八年八月、自然保護議員連盟の現地視察となり、無名の白神山地が一躍クローズアップされた。特に青秋林道に反対する連絡協議会長村田孝嗣(たかつぐ)が、平成元年(一九八九)、父鳥、母鳥と三羽のひなの写真撮影に成功し、クマゲラの〝定住〟が反対運動のシンボルとなった。