台風災害

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台風災害で忘れてはならないのが、昭和二十九年(一九五四)九月二十六日に日本を襲った台風一五号であろう。この台風は別名、「洞爺丸台風」といわれている。その名前からもわかるように、この台風は青函連絡船洞爺丸の遭難事故をもたらした。この事件は青函トンネル構想を進展させたといわれる大遭難事件だった。大正元年(一九一二)に大西洋上で氷山と衝突して沈没した英国の豪華客船タイタニック号事件に次ぐ大惨事でもあった。この台風は時速一一〇キロという猛烈なスピードで日本海を駆け抜けた風台風だった。そのスピードからもわかるように、北上しても勢力が衰えず、二十六日夜半に北海道西方海上まで到達したときは中心気圧九五六ミリバール、暴風雨半径三〇〇キロ以上の強い大型台風に成長していた。
 「洞爺丸台風」の後も弘前市を襲った台風はいくつかあるが、弘前市だけでなく青森県全体を襲った平成三年(一九九一)九月二十八日の台風一九号を忘れるわけにはいかない。別名「りんご台風」と呼ばれたように、県内のりんご農家に致命的な打撃を与えた台風だった。この台風は沖縄県に上陸した後、日本海を縦断し、各地に甚大な被害を与えた。
 青森県内だけでも死者九人、被害総額一一二九億円、りんごの落果が三四万五〇〇〇トンに及んだ。県のシンボルでもあり最重要産業であるりんごの被害は尋常ではなかった。ことにりんごを最大の産業とする弘前市にとってはなおさらたった。台風の災害による保険金支払額も全国で五六七五億円と日本で過去最高の金額に達した。このりんご台風については、弘前大学の助教授と学生たちが中心になって、小学生の台風一九号体験を文集にしている。彼らの一連の活動は各地の人々に感銘を与えた。文集は名づけて『リンゴの涙』というもので、青森県下の学校関係にだけ配る予定で印刷された。小学生五三人の作品が、「台風に備える」「台風がやってきた」「台風がさって」「リンゴのじゅうたん」「出稼ぎにいかねば」という五章に分けて掲載されている。この文集で訴える小学生たちの切々たる思いが反響を呼び、テレビやラジオで取り上げられ、全国各地で同情の声が上がったのである。

写真237 台風19号で倒れた電柱