その一方で、北端の地にも文明開化のうねりは緩やかではあったが確実に押し寄せていた。十一年(一八七八)には活版印刷による県内初めての雑誌「開文雑誌」(資料近・現代1No.七三〇)、二十一年には「田舎新誌」(資料近・現代1No.七三一)が創刊され、同年十二月六日には後に県内の文壇に大きな影響を与えることになる「東奥日報」が創刊されているからである。
しかし、本県の散文を語るとき、なにをおいても、まず挙げなければならないのが陸羯南であることは、いうまでもない。
写真242 陸羯南
(二)明治言論界の巨星・陸 羯南