陸羯南は明治政府の強権政治を完膚(ぷ)なきまで批判する。したがって、「日本」は、鎌田慧の言葉を借りれば「権力的な高官には蛇蝎(だかつ)のごとく嫌われていた」のである。
しかし、羯南は屈しない。新聞記者を「天職」と信じていたからである。鎌田はそこに羯南の心意気をみた。
法律や政治の力によって、ではない。文筆による啓発。それによって、社会を改良しよう、というのが、新聞の職分である。それが羯南の心意気だった。
(前掲『反骨のジャーナリスト』)
鎌田は、さらに、羯南の「人民は水なり、政事家は舟なり。水能(よ)く舟を載せ、水能く舟を覆す。政事家たる者能く此大勢を察して運動せざるべからず」という発言について、前掲書においてこう述べる。
いまなお通用する民主主義の鉄則である。政治運動の原動力とは、けっして政治家ではない、人民である、と羯南は喝破していた。政治家は「営利の業」ではない。ひとつの公職である。それとおなじように新聞記者もまたひとつの「天職」である。みずから選んでこの天職に就いているのではないか、というのが、羯南の「新聞記者論」のエッセンスである。
鎌田はここに羯南の「心意気、というものであり、ジャーナリストの神髄」を看(み)て取ったのである。
だから、こうも言える。郷土の後輩たちは確かに羯南のその心意気を継いでいる。柳田泉の追想文(資料近・現代1No.七一九)からも充分読み取れる。むろん、鎌田もその一人である。いや、それだけではない。羯南の心意気は、確実に鎌田の心のなかに息づいている。
陸羯南をパイオニアとし、多くの言論人、文学者が輩出した郷土を誇りに思うと同時に、本稿が、後輩が先輩を高く評価する、というスタイルで津軽の文学を概観しているゆえんは、まさに、この羯南の巨大な存在があったからである。
写真244 陸羯南漢詩