(一)不滅の作家・太宰治

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 平成十六年(二〇〇四)六月十九日は、太宰治の生誕九五年目にあたる。やがて一〇〇年を迎えるのだが、しかし、その人気はとどまるところを知らない(資料近・現代2No.六四九)。まさに、不滅の作家である。どれだけ人気があるか、それを証明する数値がある。「東京新聞(夕刊)」(平成十年六月十九日付)は、「新潮文庫」の太宰作品の発行部数を挙げている。全部で一七点を数えるが、その上位一〇点は次のとおりである。
   ① 『人間失格』    一三七刷     五、三二六、〇〇〇部
   ② 『斜陽』       九七刷     三、二六五、〇〇〇部
   ③ 『走れメロス』    六一刷     一、六三一、〇〇〇部
   ④ 『晩年』      一〇二刷     一、四四五、九〇〇部
   ⑤ 『津軽』       九〇刷     一、二三八、五〇〇部
   ⑥ 『ヴィヨンの妻』   九一刷       九八一、〇〇〇部
   ⑦ 『グッド・バイ』   五四刷       六八九、〇〇〇部
   ⑧ 『お伽草紙』     五四刷       六六五、〇〇〇部
   ⑨ 『きりぎりす』    四九刷       五六八、〇〇〇部
   ⑩ 『パンドラの匣』   四七刷       五三八、〇〇〇部
 驚くべき数字である。そして、その一七点の総数が、実に一八二九万四〇〇部に及ぶという。繰り返すが、この数値は「新潮文庫」だけのもので、他の文庫や単行本は、一切含まれていない。
 同紙はルポライターの鎌田慧のコメントを掲載している。
「晩年」でもそうだが、太宰の小説は伝えようとしても本当のことを言い表せない、それでも迷いを断ち切らずコミュニケーションしていこうというテーマが貫かれている。少年、青年、大人になる過程での疑問、苦悩、ためらいを言葉で表そうとする姿勢が、年代を超えて読まれる理由では。太宰をめぐっては絶望や苦悩ばかりが強調されるが、戦前、戦後の小説には未来は明るい、元気で行こうとのメッセージがあることも忘れてはいけない。時代は甘くないが、まったく捨てたものではないとの主張を柔らかく、読みやすい文章で伝えていることが、不安の時代とされる今も読み継がれる背景にあると思う。

 鎌田は、太宰治の作品がいつまでも読み継がれる理由を簡潔明瞭にこのように分析している。
 太宰治に関する研究書・評論の類は、まさに枚挙に暇(いとま)がない。そのなかで、もっとも早い時期に太宰治文学を評価したのが小野正文である(資料近・現代2No.六六〇)。昭和十八年に、小野正文はすでに太宰のユーモア精神について触れている。『正義と微笑』について「青年歌舞伎俳優の日記体の長篇であるが、ユーモアとペイソスの軽い流れに私は作者の豊かな人柄が覗かれてたのしく一読した」と述べ、さらに「女生徒」には「作者の優しい眼光が隈なく行き渡って、読む者に慰安と希望とを与へる」と解説している。
 文芸評論家の奥野健男が次のように報告している。
津軽に産れ、育ったということが太宰文学のキーワードではないか。パラドシカル(〔キ脱〕)であるが、もっとも土俗的な文学者からもっともインターナショナルな、普遍的な文学がうまれる。文学者井上靖氏が、もし日本文学者から文学オリンピックの代表を一人えらぶとすれば、漱石でも川端康成でもなく、ちょっと小さいが太宰治だね、と語った言葉も忘れ難い。
(「太宰治展」所収 昭和六十三年五月 日本近代文学館刊)


写真256 太宰治