津軽藩踏水会

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弘前市のスポーツ団体に、津軽十万石の古式泳法の伝統を伝える「津軽藩踏水会」がある。平成十年の創立で歴史は浅いが、現会長肥後茂らが古式泳法の研究家加藤健一を指導者として創立した。津軽藩時代の泳法は武芸であったため明治以降絶え、その内容・流派は不明であった。しかし、藩日記にしばしば水練の記録が出てくる。
 津軽藩では、慶長十九年(一六一四)に南溜池(現南塘グラウンド)が築かれ、人馬の水練場にもなっていた。天保十五年、藩では水練指導をした四人の藩士に二両ずつ賞金を与えた。また、安政二年岩木川真土(まつち)の川原で承祜(つぐとみ)公の水練見学もあった。特に一二代藩主津軽承昭(つぐあきら)はしばしば水練を見学、脱衣場や西洋型のボートまで作らせた。格別上手の子弟は昇進取り立てもした。したがって水練が盛んになった。
 津軽承昭は、熊本藩主細川斉護(なりもり)四男で、津軽一一代藩主順承(ゆきつぐ)の婿養子だった。熊本藩は泳法が盛んで、小堀流踏水術という水中の武闘や作業ができる立游(たちおよぎ)に特色があった。この流派は現在日本古式泳法で最も有名である。承昭は安政六年(一八五九)に藩主となり、文久二年(一八六二)に流派協同武芸の修行をするよう特に命じている。したがってこの時期に藩の泳法も確立し、それは藩主の流派に則った小堀流と考えられる。津軽藩踏水会の会旗は津軽家の定紋の牡丹(ぼたん)である。

写真315 津軽藩踏水会