昭和33年(1958)度

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60シーズン目

【ルール】 「タックル後のボールを足でプレーするだけでなく、持って走ってもよい」、「ファンブルはノックオンではない」、「タックル後にそのボールを超えて倒れることは、オーバーザトップの反則となる」などが規定された。国際的にはまだ正式に規定されていなかったが、日本では従来のヤード表示を廃止してメートル法を採用した。
【代表】 カナダBC州代表にテスト1分1敗 日本代表は知葉友雄監督、青井達也主将で来日のカナダBC州代表とテストマッチを戦ったが、1分1敗に終わり勝利は飾れなかった。
★181959.3.15日本代表17−21カナダBC州代表花園
★191959.3.22日本代表11−11カナダBC州代表秩父宮

【大学】 早大5年ぶりに全国制覇 早大は第30回東西王座決定戦で同大に11−5で勝ち、第9回朝日招待試合でも九州代表に20−11で勝って5年ぶり11回目の全国制覇を遂げた。/関東は早大、関西は同大、九州は西南学大が優勝 早大が第29回関東大学対抗戦Aブロックで6戦全勝し、5年ぶり11回目の優勝を果たした。第30回関西大学対抗戦は同大が5戦全勝で2年ぶり12回目の優勝を遂げた。第8回九州大会は西南学大が23−0で長崎大を下し4年ぶり5回目の優勝。/慶応義塾蹴球部60周年 6月1日に慶応義塾60周年記念式典が日吉で行われた。『慶応義塾体育会蹴球部六十年史』は11月に発刊されている。冒頭のページに「発刊に寄せて」と題する一文に黒黄会会長の脇肇氏が「慶応義塾六十年の歴史は其のまま日本ラグビーの歴史である」と書いているが、まったくその通り。日本ラグビー界への慶応義塾の貢献は言葉では言い尽くせない。この『60年史』を残してくれただけでも大変な価値があり、諸先輩のご努力に感謝の念を禁じ得ない。/関東大学対抗戦に日体大と防衛大加入 日体大と防衛大が対抗戦に加入ABブロックが各7校になる。Aブロック 早大慶大明大法大中大、立大、青学大。Bブロック 日大日体大成蹊大、教育大、防衛大、専大東大
【社会人】 八幡製鉄が3年ぶりに優勝 第11回全国社会人大会は八幡が近鉄を9−0で下し3年ぶり6回目の優勝を遂げた。/関西社会人リーグ発足 第1回関西社会人リーグが行われ、近鉄が4戦全勝で優勝した。
【地域】 第12回三地域対抗は関東が2年連続4回目の優勝を遂げた。第13回学生東西対抗は33−19で関東が11連勝。
【その他】 大学大会は西南学大、高校は秋田工が優勝 第9回全国大学大会は、西南学大が19−14で大経大を破り6年ぶり4回目の優勝、第38回の全国高校大会は秋田工が6−0で盛岡工を破り2年ぶり10回目の優勝を飾った。/国体は成年が福岡の6連覇、少年は秋田と東京が優勝 第13回の富山国体は魚津市で行われ、成年の部は福岡県(全福岡)が東京都(エリスクラブ)を26−11で破って6連覇の偉業を遂げた。ラグビーの国体史では不倒の記録である。少年Aでは秋田県(秋田工)が大分県(大分舞鶴高)を50−0で破り3連覇、少年Bでは東京都(保善高)が青森県(青森商)を5−0で破って3連覇[チームは保善、城北、保善]を遂げた。
【国際】 カナダBC州代表来日(5勝2分1敗) 当時はBC(ブリティッシュコロンビア州)が事実上のカナダ代表であった。日本とは同等の力だったと思うが、日本勢はまだ外国人との対戦経験が十分でなく、力負けした感がある。近鉄が16−9で一矢報いたほか、八幡と日本代表が引き分けに持ち込んだ。その他の対戦は全明大3−17、全早大5−14、全慶大9−40、関東連合3−16であった。カナダでは隻腕[右手が肩の付け根から切断された]デニス・ベイチ[愛称デニー]が活躍して感動を与え、大きな話題になった。オールドファンで彼を覚えている人は多いだろう。