昭和40年(1965)度

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67シーズン目

【協会】 主要な公式試合はすべて40分ハーフ 9月1日、日本協会は本年度からすべての公式戦を40分ハーフで行うと決定した。/大学選手権出場校を8校に 大学選手権大会の出場校を関東4校、関西3校、九州1校の8大学に増やし、出場校は三地域協会が推薦することにした。/日本協会がラグビースクールを開校 9月15日、日本協会は秩父宮を会場に東京ラグビースクールを開校した。協会役員などが指導員となり大勢の子供たちを集めて盛況を極めた。このラグビースクールから名選手に育ったプレヤーも多い。/教育系大学の研修会と大会始まる 教育系大学の研修会を7月に菅平で挙行した。第1回は研修会のみ行われたが、昭和41年度の第2回から49年度の第10回[第5回の広島を除く]まで菅平で、その後は名古屋の瑞穂ラグビー場[国論義運動公園で2回]に会場を移して平成11年度の第34回大会まで行われ、以降は全国地区対抗大会に編入された。
【代表】 日本代表強化合宿始まる 日本協会は、日本代表の組織的強化を目指して7月20日から24日まで、日本代表候補(社会人41名、学生13名)を集め自衛隊朝霞駐屯地で強化合宿を行った。
【選手権】 早大が初の日本一に輝く 第3回日本選手権試合では早大が八幡を12−9で破り初の日本一に輝いた。早大横井久監督は、藤本忠正をセブンエースに起用するシステムを成功させて話題を呼んだ。
【大学】 大学選手権は早大が優勝 第2回大学選手権には関東協会から早大法大日体大日大が推薦された。関西協会から同大天理大京大、九州協会から電子工大(現福岡工大)が選出され8校でトーナメント大会が行われた。決勝では矢部達三主将率いる早大が16−0で法大を破り初優勝を遂げた。/関東大学また任意の対抗戦形式へ戻る この年は任意の対抗戦形式に戻ったが、実質的な対戦内容は2つのグループに分かれた。第36回関東大学対抗戦は全勝の早大が優勝(7年ぶり12回目)、1敗の法大青学大が2位で並んだ。関東協会は対戦内容から早大法大日体大日大の4校を大学選手権の出場校に推薦したが、青学大が選ばれなかったことに疑問が残った。/関西は同大、九州は電子工大(翌年から福岡工大) 第37回関西大学リーグ戦は同大が6勝1分で8年連続19回の優勝、第15回九州大会は電子工大が9−6で鹿児島大を破って初優勝を遂げた。
【社会人】 八幡製鉄が4連覇 第18回社会人大会は八幡製鉄近鉄を8−3で下し4年連続12回目の優勝を飾った。/関東はリコーが秋を初制覇、春は三井精機 第6回関東社会人の秋季大会はリコーが11−8で警視庁を破り、前年度の春に続いて初優勝、春季大会では三井精機が6勝1敗で2年ぶり2回目の優勝。/関西は近鉄が8連覇 第8回関西社会人Aリーグは、近鉄が4戦全勝で8連覇。
【地域】 第19回三地域対抗は関西が12年ぶり2回目の優勝を遂げた。/第20回学生東西対抗は関東が55−11で関西を破り2年ぶり18回目の勝利。/第16回朝日招待は日本学生代表が31−22で九州代表に勝利を収めた。
【その他】 大学大会は国士舘大、高校は盛岡工がともに初優勝 第16回全国大学大会は国士舘大が5−0で大経大を破って初優勝を果たした。第45回高校大会は盛岡工が6−5で天理高に競り勝って宿願を果たした。/国体は成年岩手県、少年は奈良県と秋田県、教員は大阪府が優勝 第20回岐阜国体は各務原市で行われ、成年の部では岩手県(富士製鉄釜石)が24−18で京都府(三菱重工京都)を破って優勝。少年Aでは奈良県(天理高)が37−5で広島県(崇徳高)を破り、Bでは秋田県(秋田工)が11−3で岐阜県(岐阜工)を破って優勝した。教員は大阪府が13−5で岐阜県を下した。
【国際】 全同大がNZ・豪州に遠征 昭和41年3月に全同大がNZ・豪州に遠征し、9戦して3勝1分5敗の成績を残した。/9月、香港代表来日(4敗)。/3月、エーコンクラブ香港台湾遠征(3勝1敗)。