昭和57年(1982)1月30日 秩父宮ラグビー場
初仕事で香港に辛勝
No.180★70 香港代表第4回来日第3戦 | ||||||
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1982年1月30日 G:秩父宮ラグビー場 R:バイヤーズ(A) KO 14:00 | ||||||
日本代表 | 18 | - | 12 | 香港代表 | ||
1 | 石山 次郎(釜石) | 12 | 前 | 3 | 1 | ピーター・シンデン |
2 | 平井 俊洋(トヨタ) | 6 | 後 | 9 | C2 | ブライアン・リーチ |
3 | 洞口 孝治(釜石) | 3 | アンドリュー・スティーブンス | |||
4 | 千田 美智仁(釜石) | 1 | T | 0 | 4 | ブルース・ヴォーゲル |
5 | 瀬川 健三(三菱長崎) | 1 | G | 0 | 5 | クリストファー・ウエストサイモン |
6 | 伊藤 隆(リコー) | 1 | PG | 1 | 6 | セラーズ |
C7 | 石塚 武生(リコー) | 1 | DG | 0 | 7 | チャールズ・ヨーマンズ |
8 | 瀬下 和夫(秋田市役所) | 8 | トニー・タイラー | |||
9 | 小西 義光(サントリー) | 1 | T | 0 | 9 | トニー・ペニー |
10 | 松尾 雄治(釜石) | 1 | G | 0 | 10 | アントニー・ウォルフ |
11 | 氏野 博隆(東京三洋) | 0 | PG | 3 | 11 | デリック・ハンドレー |
12 | 金谷 福身(日新製鋼) | 0 | DG | 0 | 12 | マイクル・ブラチャー |
13 | 南川 洋一郎(八幡) | 13 | ジョン・ジェンキンス | |||
14 | 戸嶋 秀夫(東芝府中) | 12 | 反 | 12 | 14 | チャールス・グレゴリー |
15 | 田中 伸典(天理大OB) | 15 | クリーム・ブラックウッド | |||
交代【日】豊田典俊(丸紅)④ | ||||||
得点:T小西、田中、G田中2、PG田中、DG松尾 |
「試合後しばらくロッカールームにとじこもり、苦笑まじりで姿を現した第一声が『さまにならないゲームをしてしまいました』だった。キックオフと同時に香港ゴール前へ攻め込み、SO松尾が鮮やかなDGを蹴り込んだのがわずか2分。スタートの日本代表は決して悪いようには見えなかった。ところが何時になってもトライを取れそうな形にならないのだ。(中略)ラインアウトから左に展開し、FB田中が中央にダイブするまで、32分間をかけるようでは、四月のカナダ戦、五月のニュージーランド遠征は心もとない限りの内容である。なかでも『さまにならなかった』のはスクラム。前半だけでマイボールを六回も香港に奪われるへまを演じた。(中略)かろうじて小西のトライ(33分)で逃げ切ったが、PGだけのノートライに抑えただけが唯一の取りえといえるさえない日本代表、日比野強化委員長の初仕事だった」(サンスポ、末富鞆音)。