最後に私が強化委員会在任中の資料を付記しておく。
〈日本代表チーム強化策の提案〉
昭和53年1月13日
強化委員 日比野 弘
1 理論
身体の大きさ、重さなどのハンデを補うために、日本独特の戦術を考え出さなければならないが、小細工では解決しない。
個々のパワーアップを進め、ラグビーの原則理論を高いレベルで実施し得るチームをつくる長期計画を持ちたい。
日本ラグビーの進むべき道は奪取、接近、展開、突破、連続を攻撃の指針となし、さらに強固なディフェンスフォーメーションと防御力を加味することである。
2 強化委員会の組織
a 協会内の位置づけは現状のままでよい。
b 委員の責任分担を明確にする。
c 三地域協会の強化委員長を日本協会の強化委員に加える。
d 日本協会の強化委員長はセレコン委員長と代表監督を兼務する。
(組織案)
強化委員会 委員長 斎藤 尞
3 日本U21代表のチーム編成について
理論の実践を可能にするために、U21代表では体力測定のデータを重視しながら、思い切った発想で素材を重視して育成したい。原進、寺井敏雄、井澤義明、横井章などのポジションチェンジ例を思い起こしてほしい。
例えば
1 重くて走れるプロップ 木村和彦(明大)
2 187センチ以上のロック
尾崎篤之(同大)、中川博和(早大)
3 当れ、走れ、強いタックルができる第3列
林敏之(徳島城北高)、瀬川健三(明大)
4 パスが速く、長いSH 西川広治(大工大高)
5 蹴れる、当れる、前が見えるSO橋爪利明(明大)
6 ゲインラインを突破できる、キープ力ありタックルが強いCTB 河瀬泰治(大工大高)
7 スピードありFBもできるWTB 辻悦朗(日体大)
8 蹴れる、当れる、走れるFB 長沼龍太(早大)
これらの素材を英才教育して経験を積ませて5年後に代表に送り込む。
昭和53年1月13日
強化委員 日比野 弘
1 理論
身体の大きさ、重さなどのハンデを補うために、日本独特の戦術を考え出さなければならないが、小細工では解決しない。
個々のパワーアップを進め、ラグビーの原則理論を高いレベルで実施し得るチームをつくる長期計画を持ちたい。
日本ラグビーの進むべき道は奪取、接近、展開、突破、連続を攻撃の指針となし、さらに強固なディフェンスフォーメーションと防御力を加味することである。
2 強化委員会の組織
a 協会内の位置づけは現状のままでよい。
b 委員の責任分担を明確にする。
c 三地域協会の強化委員長を日本協会の強化委員に加える。
d 日本協会の強化委員長はセレコン委員長と代表監督を兼務する。
(組織案)
強化委員会 委員長 斎藤 尞
監督 | コーチ | トレーナー | |
日本代表 | 斎藤 尞(兼) | 大久保 吉則、伊藤 忠幸 | 辻野 昭 |
日本B代表 | 宮地 克実 | 尾崎 真義、坂田 好弘 | 綿井 永寿 |
日本U21代表 | 日比野 弘 | 後川 光夫、今里 良三 | |
日本高校代表 | 石丸 克己 | 山口 良治、蒲原 忠正 | |
関東代表 | 横井 久 | ||
関西代表 | 岡 仁詩 | ||
九州代表 | 寺井 敏雄 |
3 日本U21代表のチーム編成について
理論の実践を可能にするために、U21代表では体力測定のデータを重視しながら、思い切った発想で素材を重視して育成したい。原進、寺井敏雄、井澤義明、横井章などのポジションチェンジ例を思い起こしてほしい。
例えば
1 重くて走れるプロップ 木村和彦(明大)
2 187センチ以上のロック
尾崎篤之(同大)、中川博和(早大)
3 当れ、走れ、強いタックルができる第3列
林敏之(徳島城北高)、瀬川健三(明大)
4 パスが速く、長いSH 西川広治(大工大高)
5 蹴れる、当れる、前が見えるSO橋爪利明(明大)
6 ゲインラインを突破できる、キープ力ありタックルが強いCTB 河瀬泰治(大工大高)
7 スピードありFBもできるWTB 辻悦朗(日体大)
8 蹴れる、当れる、走れるFB 長沼龍太(早大)
これらの素材を英才教育して経験を積ませて5年後に代表に送り込む。
〈1981~82年度強化方針について〉
1981.9.27
強化委員長 日比野 弘
現状の分析
別紙資料の通り、1968年NZ遠征において新しいスタートを切った日本代表チームは、この13年間、実に恵まれた環境において7回の海外遠征を含めて、豊富な国際試合の体験を得ることができた。しかし、パワー不足、戦術面での行き詰まり等、成績は下降戦をたどり、諸先輩の築き上げた立派な業績を継承し得なかったことは、強化委員の等しく反省するところである。一方この間、高校中心の強化・普及が逐次効果を表し、体力養成の粘り強い努力が実り、世界との体格差が縮まりつつある。NZU、豪州学生等、学生レベルのチームと互角以上の戦いができるようになり、一縷の光明が見出せるようになった。10年来の不振の轍を踏まないように、再出発の土台を築き上げる重要な年度であるといえよう。
強化方針
1 スコッド・システムの確立
別表の資料[ここでは省略]を見て真っ先に反省させられるのが失点の増加である。特に外国においてミスマッチといわれる30点差以上[私の定義(前述P539の注1)は外国の基準に比べると遥かに甘い]の大敗の増加の原因をさぐらなければならない。
私はその原因がスコッドを持たないことにあると考える。国内のチームの例を引くまでもなく、個人の力量だけでバラバラのゲームをしてはチームディフェンス力は向上しない。同一メンバーで何回も練習、練習ゲームを重ねて初めて失点の少ない、緻密なチームが出来上がるのである。スコッドはJapanのみならず、JuniorまたはUniversityも必要である。同じスコッドにおいて強化し、競り合わせた選手であればすぐに順応できるが、国内試合で活躍したという資料だけで選手を選ぶことは危険でもある。コーチも同様である。人数を絞り、担当部門を明確にして、選手と共に任期中は全力を傾注できる体制をつくりたい。任期は委員長を含めて2が最適であり、この間の指導力を見極めて次の世代へと逐次移行させていくのがよいと思う。
理事会の承認を得られれば、今シーズンは下記のスコッドシステムで発足させていただきたい。
強化委員会 委員長
2 強化スケジュールと年度目標
各スコッドが目標を定め、その達成に必要なスケジュールを立案し、遂行しなければならない。1981年度においては、日本代表と高校はすでに決定しているので、候補・大学スコッドの目標を何に置くか検討を急ぎたい。また、5年間位の長期強化計画を立案すると共に、その計画遂行の次年度の目標を何に置くべきかの決定も至急行わなければならない。
82年1月の日本代表合宿において、新・旧委員長が交代の挨拶をして、新スコッドシステムに移行する方針を説明、協力・支援を要請する。委員長及び委員の任期は2年、5月末日迄とし6月に新委員会を発足させ、7月の合宿に臨んで新しいスコッドを編成する。
3 戦法の骨子
多くの対戦経験を持つ技術研究委員の方々とディスカッションの上、最終方針を決めるが、私の考え方は下記2点に集約される。
1 攻撃は「合理的なアタックはナショナルレベルでも有効である」こと。
2 防御は「サイドアタックとキック&ラッシュへの防御を最重点に、一糸乱れぬチームディフェンス網をつくる」こと。
細分化すれば
ⅰ スクラムの強化とサイドアタック攻防の習熟
ⅱ ラインアウトボール確保の研究と習熟
ⅲ バックスの意図的な外側展開(ダブルライン採用)によるゲインライン突破
ⅳ タックルドボールへの働きかけの習熟
ⅴ アタッキングラック、ディフェンディングモールの徹底
ⅵ カウンターアタック攻防の徹底
ⅶ ホイールの攻防の徹底
ⅷ シャローアウトディフェンスの完成
ⅸ 多彩な攻撃に順応できるチームディフェンス網の徹底
等である。これらの戦法の長所と短所を理解し、全員に周知徹底できるまで、ティーチング、コーチングを行う。
戦績の検討と反省
日本で行われる試合は勿論のこと、遠征に際してもすべての試合をビデオに収録し、帰国後、試合内容の検討、反省を行い、成果と失敗のチェックをして次期に生かすことが重要である。これにより、監督、コーチ、プレーヤーの評価を正しく行うことができる。
候補選手の掌握と管理
スコッドに選んだプレーヤーは勿論のこと、各地域、各年代における有望プレーヤーのすべてを掌握し管理できるように、選手手帳を持たせる。毎年2回活動状況と各種体力測定記録を報告させて、成長状況に絶えず注目していく。体力測定記録は体力養成の成果を高めるために、そのデータを研究に生かしていきたい。
1981.9.27
強化委員長 日比野 弘
現状の分析
別紙資料の通り、1968年NZ遠征において新しいスタートを切った日本代表チームは、この13年間、実に恵まれた環境において7回の海外遠征を含めて、豊富な国際試合の体験を得ることができた。しかし、パワー不足、戦術面での行き詰まり等、成績は下降戦をたどり、諸先輩の築き上げた立派な業績を継承し得なかったことは、強化委員の等しく反省するところである。一方この間、高校中心の強化・普及が逐次効果を表し、体力養成の粘り強い努力が実り、世界との体格差が縮まりつつある。NZU、豪州学生等、学生レベルのチームと互角以上の戦いができるようになり、一縷の光明が見出せるようになった。10年来の不振の轍を踏まないように、再出発の土台を築き上げる重要な年度であるといえよう。
強化方針
1 スコッド・システムの確立
別表の資料[ここでは省略]を見て真っ先に反省させられるのが失点の増加である。特に外国においてミスマッチといわれる30点差以上[私の定義(前述P539の注1)は外国の基準に比べると遥かに甘い]の大敗の増加の原因をさぐらなければならない。
私はその原因がスコッドを持たないことにあると考える。国内のチームの例を引くまでもなく、個人の力量だけでバラバラのゲームをしてはチームディフェンス力は向上しない。同一メンバーで何回も練習、練習ゲームを重ねて初めて失点の少ない、緻密なチームが出来上がるのである。スコッドはJapanのみならず、JuniorまたはUniversityも必要である。同じスコッドにおいて強化し、競り合わせた選手であればすぐに順応できるが、国内試合で活躍したという資料だけで選手を選ぶことは危険でもある。コーチも同様である。人数を絞り、担当部門を明確にして、選手と共に任期中は全力を傾注できる体制をつくりたい。任期は委員長を含めて2が最適であり、この間の指導力を見極めて次の世代へと逐次移行させていくのがよいと思う。
理事会の承認を得られれば、今シーズンは下記のスコッドシステムで発足させていただきたい。
強化委員会 委員長
日本代表 | 日比野弘、高田司、赤間英夫、今里良三、伊藤忠幸 |
候補・大学 | 堀越慈、大東和美、小藪修、森重隆、坂田好弘 |
高校 | 宮地克実、山口良治、山本巌、前田嘉昭 |
技術研究 | 斎藤尞、岡仁詩、横井久 |
体力養成 | 綿井永寿、辻野昭 |
2 強化スケジュールと年度目標
各スコッドが目標を定め、その達成に必要なスケジュールを立案し、遂行しなければならない。1981年度においては、日本代表と高校はすでに決定しているので、候補・大学スコッドの目標を何に置くか検討を急ぎたい。また、5年間位の長期強化計画を立案すると共に、その計画遂行の次年度の目標を何に置くべきかの決定も至急行わなければならない。
82年1月の日本代表合宿において、新・旧委員長が交代の挨拶をして、新スコッドシステムに移行する方針を説明、協力・支援を要請する。委員長及び委員の任期は2年、5月末日迄とし6月に新委員会を発足させ、7月の合宿に臨んで新しいスコッドを編成する。
3 戦法の骨子
多くの対戦経験を持つ技術研究委員の方々とディスカッションの上、最終方針を決めるが、私の考え方は下記2点に集約される。
1 攻撃は「合理的なアタックはナショナルレベルでも有効である」こと。
2 防御は「サイドアタックとキック&ラッシュへの防御を最重点に、一糸乱れぬチームディフェンス網をつくる」こと。
細分化すれば
ⅰ スクラムの強化とサイドアタック攻防の習熟
ⅱ ラインアウトボール確保の研究と習熟
ⅲ バックスの意図的な外側展開(ダブルライン採用)によるゲインライン突破
ⅳ タックルドボールへの働きかけの習熟
ⅴ アタッキングラック、ディフェンディングモールの徹底
ⅵ カウンターアタック攻防の徹底
ⅶ ホイールの攻防の徹底
ⅷ シャローアウトディフェンスの完成
ⅸ 多彩な攻撃に順応できるチームディフェンス網の徹底
等である。これらの戦法の長所と短所を理解し、全員に周知徹底できるまで、ティーチング、コーチングを行う。
戦績の検討と反省
日本で行われる試合は勿論のこと、遠征に際してもすべての試合をビデオに収録し、帰国後、試合内容の検討、反省を行い、成果と失敗のチェックをして次期に生かすことが重要である。これにより、監督、コーチ、プレーヤーの評価を正しく行うことができる。
候補選手の掌握と管理
スコッドに選んだプレーヤーは勿論のこと、各地域、各年代における有望プレーヤーのすべてを掌握し管理できるように、選手手帳を持たせる。毎年2回活動状況と各種体力測定記録を報告させて、成長状況に絶えず注目していく。体力測定記録は体力養成の成果を高めるために、そのデータを研究に生かしていきたい。
〈NZ遠征報告〉
1982.6.26
強化委員長・監督 日比野弘
NZ遠征の成果と課題
1 成果
NZUに勝って勝ち越すという第一目標は達成できなかったが、新しい強化目的の最大課題とした「失点の少ないチームづくり」という点では、別表のように1974年のNZ遠征に対して6点、1976年の英伊遠征に対しては10点と、一試合平均での失点を少なくすることができた。これは30点差以上のミスマッチがなかったこととあわせ、Japanのチーム力向上の一つの成果といえ、NZ各チームと同じ土俵で勝負できるレベルに戻ったものと考えられる。一試合平均の得失点差は今回が△5.2、1974年NZが△4.8、76年英伊が△15.4と、好成績を挙げた74年NZ遠征の成績に肉迫することができた。まさにあと一歩。各試合において一つのトライを阻止できるかどうかに勝負がかかることになった。今回の教訓を今秋の3か国対抗に生かすことができれば、NZUに勝つことができると確信する次第である。
2 課題
さらに強化を必要とする項目を示し、夏合宿及び今後の課題としたい。
ⅰ スクラムでのワンプッシュとクイックヒールアウト
ⅱ タックルドボールに対する速い働きかけ
ⅲ スクラム、ラック・モール、サイドディフェンスの強化
ⅳ 相手キックの正確な処理
ⅴ ウイングの決定力強化
ⅵ ダブルラインでゲインライン突破後の攻め方
ⅶ フルラインアウトでのボールの獲得
ⅷ キックの正確性の向上
ⅸ 速いポジショニング
ⅹ ラックからの速い球出し
3 資料
省略する
1982.6.26
強化委員長・監督 日比野弘
NZ遠征の成果と課題
1 成果
NZUに勝って勝ち越すという第一目標は達成できなかったが、新しい強化目的の最大課題とした「失点の少ないチームづくり」という点では、別表のように1974年のNZ遠征に対して6点、1976年の英伊遠征に対しては10点と、一試合平均での失点を少なくすることができた。これは30点差以上のミスマッチがなかったこととあわせ、Japanのチーム力向上の一つの成果といえ、NZ各チームと同じ土俵で勝負できるレベルに戻ったものと考えられる。一試合平均の得失点差は今回が△5.2、1974年NZが△4.8、76年英伊が△15.4と、好成績を挙げた74年NZ遠征の成績に肉迫することができた。まさにあと一歩。各試合において一つのトライを阻止できるかどうかに勝負がかかることになった。今回の教訓を今秋の3か国対抗に生かすことができれば、NZUに勝つことができると確信する次第である。
2 課題
さらに強化を必要とする項目を示し、夏合宿及び今後の課題としたい。
ⅰ スクラムでのワンプッシュとクイックヒールアウト
ⅱ タックルドボールに対する速い働きかけ
ⅲ スクラム、ラック・モール、サイドディフェンスの強化
ⅳ 相手キックの正確な処理
ⅴ ウイングの決定力強化
ⅵ ダブルラインでゲインライン突破後の攻め方
ⅶ フルラインアウトでのボールの獲得
ⅷ キックの正確性の向上
ⅸ 速いポジショニング
ⅹ ラックからの速い球出し
3 資料
省略する
〈1983年度 Japan強化方針〉
1983.2.13
強化委員長 日比野弘
前年度の反省
1 戦績
合格点と言い難い。特にアジア大会においてはじめて韓国に敗れたこと、E.S.(イングランド大学選抜)に0−43と大敗したこと、JapanBがE.S.に0−99で敗れたことは1982年度の汚点である。
2 ゲームの内容
別表の通り、アジア大会を除いて14戦6勝7敗1分である。一試合平均得点19.2、失点23.7、得失点差△4.5のデータは、主たる目標であったディフェンスの強化について一応の進歩が見られたといえる。この成績は過去7シーズンの得失点差を上回り、74年以前の強かったJapanの数字に並んだものである。
3 戦法の徹底
1982年度はプレーヤーの意識の改革、攻防理論の理解、徹底に時間をとられ、対外国人用の戦法の完成を見るに至らなかった。
4 スコッドシステム
三国対抗のため、日本Bと日本学生代表スコッドの強化方針が、Japanとの一貫性がなくなった。特にBは次代のJapanという意識が欠如し、Japanのけが人の補充に主力選手をとられたため、落ちこぼれ集団になってしまった。
5 コーチ
Japanの強化が何よりも重要な責務であるのに、国内での所属チームの強化と会社の業務のため、十分な時間が取れなかった。
6 プレーヤー
コーチと同様、Japanのゲームに集中しきれていない。これは当然委員長の責任であるが、与えられた時間を大切に、自らの課題に取り組み、死に物狂いで戦う心を育て上げることができなかった。
7 体力養成
選手手帳を作って各プレーヤーに持たせることにしたが、高校のスコッドを除いてはその活用が不十分であった。
今年度の強化方針
1 目標 ウエールズに勝つ
2 システム スコッドシステムを継続し、Japan、Junior、High-Schoolの3スコッドとする。
3 精神 ウエールズ戦にすべてを賭ける。「戦う心構え」づくりをすべてに優先させる。これができないプレーヤーは例え主力でもメンバーから外す。不退転の覚悟をもって臨む。
4 戦法 「速く・多く」のランニングラグビーの徹底を計る。理論的に合理性の高い戦法(例えばスクラムからはダブルライン。ラインアウトからはWTBを遠く、飛ばしパスでFB、2FEのサポートなど遠い地点でのGL突破を表のプレーに、裏のプレーでFWサイドアタック、1FEとブラインドWTB、2FEの切れ込みで攻めるなど)を駆使して速い展開のラグビーを志向する。ディフェンスの強化は言うまでもない。具体的な戦法は別に記す。
5 選手の選考 ポジションにより多少違うが、次の点を重点に選考する。
①精神力②タックル力③スピード④スタミナ⑤パワー⑥ハンドリングスキル
6 組織
7 練習 最低時間の確保が必要である。ユニットプレー50時間、チームプレー10時間が必要である。計画の進行度によっては修正が必要となる。現在確保できている練習時間は約40時間である。
1983.2.13
強化委員長 日比野弘
前年度の反省
1 戦績
合格点と言い難い。特にアジア大会においてはじめて韓国に敗れたこと、E.S.(イングランド大学選抜)に0−43と大敗したこと、JapanBがE.S.に0−99で敗れたことは1982年度の汚点である。
2 ゲームの内容
別表の通り、アジア大会を除いて14戦6勝7敗1分である。一試合平均得点19.2、失点23.7、得失点差△4.5のデータは、主たる目標であったディフェンスの強化について一応の進歩が見られたといえる。この成績は過去7シーズンの得失点差を上回り、74年以前の強かったJapanの数字に並んだものである。
3 戦法の徹底
1982年度はプレーヤーの意識の改革、攻防理論の理解、徹底に時間をとられ、対外国人用の戦法の完成を見るに至らなかった。
4 スコッドシステム
三国対抗のため、日本Bと日本学生代表スコッドの強化方針が、Japanとの一貫性がなくなった。特にBは次代のJapanという意識が欠如し、Japanのけが人の補充に主力選手をとられたため、落ちこぼれ集団になってしまった。
5 コーチ
Japanの強化が何よりも重要な責務であるのに、国内での所属チームの強化と会社の業務のため、十分な時間が取れなかった。
6 プレーヤー
コーチと同様、Japanのゲームに集中しきれていない。これは当然委員長の責任であるが、与えられた時間を大切に、自らの課題に取り組み、死に物狂いで戦う心を育て上げることができなかった。
7 体力養成
選手手帳を作って各プレーヤーに持たせることにしたが、高校のスコッドを除いてはその活用が不十分であった。
今年度の強化方針
1 目標 ウエールズに勝つ
2 システム スコッドシステムを継続し、Japan、Junior、High-Schoolの3スコッドとする。
3 精神 ウエールズ戦にすべてを賭ける。「戦う心構え」づくりをすべてに優先させる。これができないプレーヤーは例え主力でもメンバーから外す。不退転の覚悟をもって臨む。
4 戦法 「速く・多く」のランニングラグビーの徹底を計る。理論的に合理性の高い戦法(例えばスクラムからはダブルライン。ラインアウトからはWTBを遠く、飛ばしパスでFB、2FEのサポートなど遠い地点でのGL突破を表のプレーに、裏のプレーでFWサイドアタック、1FEとブラインドWTB、2FEの切れ込みで攻めるなど)を駆使して速い展開のラグビーを志向する。ディフェンスの強化は言うまでもない。具体的な戦法は別に記す。
5 選手の選考 ポジションにより多少違うが、次の点を重点に選考する。
①精神力②タックル力③スピード④スタミナ⑤パワー⑥ハンドリングスキル
6 組織
強化委員会委員長 | 日比野弘 |
技術顧問 | 斎藤尞、岡仁詩、横井久 |
Japan | 日比野弘、宮地克実、石塚武生、小田進午(トレーニングコーチ) |
Junior | 伊藤忠幸、大東和美、今里良三、後川光夫 |
High-School | 山本巌、笹田学、荒川博司、前田嘉昭(トレーニングコーチ兼任) |
7 練習 最低時間の確保が必要である。ユニットプレー50時間、チームプレー10時間が必要である。計画の進行度によっては修正が必要となる。現在確保できている練習時間は約40時間である。