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概要
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放牛地蔵は、放牛という僧により、1722年(享保7年)から1732年(享保17年)にかけて、熊本市を中心に飽託・玉名・鹿本・菊池などの道路の分かれ道に建立された118体の地蔵尊である。「他力放牛」という言葉と何体目かを銘してある。歯痛やいぼが治り、母乳の出が良くなるなどの信仰がある。 ・加恵(51体目) 菊池市七城町加恵 加恵地区の東往還沿いの民家に隣接して祀ってある。この地蔵の光背部に、「享保十三歳(1728)九月二十九日」、「他力、放牛」と刻んである。また光背の頂には、「神ほとけ おがまぬ先に親おがめ 神やほとけも うれしかるらん」の和歌が彫られ、親孝行の大切さを問いかけている。 【放牛について】江戸時代に熊本城下の鍛冶屋町に貧しい鍛冶職の親子がいた。貞享3年(1686年)、酒好きの父が酒の買い置きがないのに腹を立て、手に持っていた火吹き竹を息子に投げつけた。それが不運にも家の前を通りかかった侍・大矢野源左衛門の顔に当たり、父はその場で無礼打ちとなった。息子は父が殺されたのは自分の不孝のせいだと嘆き、出家して放牛と名を改めた。30余年の修行の後、享保17年(1732年)から10年間に100体の石仏を建立して父の菩提を弔う悲願をたてた。
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