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概要
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平野の放牛地蔵は、椎持往還が通る梨木坂の崖地に洞を穿ったところに石厨子に納めて祀られています。享保13年(1728年)に造られたもので、ここは50体目の地蔵となります。石厨子は、昭和10年に平野、糖泉地区の有志の方々が奉納されたものです。なお、田島一区の天徳寺横には40体目の地蔵が安置されています。
【放牛地蔵について】 江戸時代に熊本城下の鍛冶屋町に貧しい鍛冶職の親子がいた。貞享3年(1687年)、酒好きの父が酒の買い置きがないのに腹を立て、手に持っていた火吹き竹を息子に投げつけた。それが不運にも家の前を通りかかった侍・大矢野源左衛門の顔に当たり、父はその場で無礼打ちとなった。息子は父が殺されたのは自分の不孝のせいだと嘆き、出家して放牛と名を改めた。30余年の修行の後、享保17年(1732年)から10年間に100体の石仏を建立して父の菩提を弔う悲願をたて、熊本市を中心に飽託・玉名・鹿本・菊池などの道路の分かれ道に118体の地蔵尊を建立した。像には「他力放牛」という言葉と何体目かを銘してある。歯痛やいぼが治り、母乳の出が良くなるなどの信仰がある。
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