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概要
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放牛地蔵は、放牛という僧により、1722年(享保7年)から1732年(享保17年)にかけて、熊本市を中心に飽託・玉名・鹿本・菊池などの道路の分かれ道に建立された118体の地蔵尊である。「他力放牛」という言葉と何体目かを銘してある。歯痛やいぼが治り、母乳の出が良くなるなどの信仰がある。 ・水島(59体目) 菊池市七城町台 水島交差点の一角に小屋があり、その中にある2体の石仏のうち、右のものが放牛地蔵である。光背上部が幾つにも割れていたが補修されている。仏体上部に これよりみ*きわいふ ひたり*きの 他力放牛 五十九体 とある。 (*は□の中に文字) 【放牛について】江戸時代に熊本城下の鍛冶屋町に貧しい鍛冶職の親子がいた。貞享3年(1686年)、酒好きの父が酒の買い置きがないのに腹を立て、手に持っていた火吹き竹を息子に投げつけた。それが不運にも家の前を通りかかった侍・大矢野源左衛門の顔に当たり、父はその場で無礼打ちとなった。息子は父が殺されたのは自分の不孝のせいだと嘆き、出家して放牛と名を改めた。30余年の修行の後、享保17年(1732年)から10年間に100体の石仏を建立して父の菩提を弔う悲願をたてた。
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