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目録ID b00036
氏名 菊池為邦
氏名(カナ) キクチタメクニ
氏名(ローマ字)
別名 菊池氏20代
タイトル関連(カナ)
タイトル関連(ローマ字)
欧文タイトル
タイトルに関する注記
著者
著者(カナ)
作成者(ローマ字)
宛先
宛先(カナ)
宛先(ローマ字)
出版者
製作者(カナ)
製作者(ローマ字)
生没年 永享2年(1430)~長享2年(1488)
製作年終
数量
形態
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大きさ(横)
大きさ(高さ)
材質
形態に関する注記
保存状況
収録時間
縮尺
備考 画像出典:東福寺
言語
ISBN
ISSN
件名
件名(カナ)
件名(ローマ字)
地域
地域(カナ)
地域(ローマ字)
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関連する人物・団体(カナ)
関連する人物・団体(ローマ字)
内容年
内容年終
内容細目
内容細目(カナ)
内容細目(ローマ字)
概要 19代菊池持朝の嫡子。父に引き続き筑後守護として大友氏と領有権を争ったが、これに敗れた。次男の武邦が豊福(熊本市南区城南町)で反乱を起こしたため、嫡子の重朝を差し向けて鎮圧するが、一族の弱体化が目に見え始めるのはこの頃からであると考えられる。その一方で為邦は朝鮮等との交易、また教養に力を入れている。 1446年に家督を嫡子重朝に継承して隠居し、菊池十八外城の一つ亀尾城の下に碧巌寺(へきがんじ)を開き、「碧巌集」の勉強に勤しんだ。 江戸時代の書物『肥後国志』には、加藤清正が肥後守護に任ぜられて肥後の地に向かうとき、二重の峠にて菊池為邦を名乗る武者(の亡霊)より「碧巌寺という寺が荒れてしまっているので再興して欲しい」と願われたために京都東福寺より清韓(せいがん)和尚を招き、復興させたとの記述がある。 菊池為邦画像(県指定文化財)が残されており、その賛は清韓による。墓所は為邦が開いた江月山玉祥寺にあり、また碧巌寺には没後250年を機に建てられた遺髪塔(分墓)がある。
解題・説明(英語)
来歴
来歴(英語)
所蔵機関 菊池市立図書館
原資料の所在地
資料番号
管理記号
カテゴリ区分
資料種別 人物
資料群名
資料分類(中分類)
資料分類(小分類)
文化財情報
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情報源(自治体史) 菊池市史 上巻
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