概要
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集玄亭は渋江紫陽(しぶえしよう)が寛延元(1758)年に菊池市隈府町で開いた私塾である。漢学を基礎として教育を授けていた。藩学である時習館の設立より6年も先立って開かれたことは特筆すべきことである。 寛政4(1792)年に閉塾されるまで、300人以上の門人が学んだとされる。その門人には、嶋屋日記の筆者の宗伝次(そうでんじ)や町野鳳陽(ほうよう)らも名を連ねている。 渋江家は紫陽の後、4代にわたってそれぞれ塾を開き、菊池の文化醸成に大きな貢献をすることとなった。 写真は集玄亭の扁額である。博学として知られた福岡の儒学者、亀井昭陽(しょうよう)によって書かれた。
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