下松市 郷土資料・文化遺産デジタルアーカイブ
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写真で見るくだまつ:昭和初期~中期の下松



末武・中村

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玉鶴川

玉鶴川 画像

玉鶴川

玉鶴川に架かる山陽本線の橋脚。下松記念病院が見える。

現在の様子

玉鶴川

日石末武貯油所

日石末武貯油所 画像

日石末武貯油所

現在、この場所には、ゆめタウン下松がある。

青木幼稚園

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青木幼稚園

末武中学校の南側にあり、現在は、鋼鈑幼稚園となっている。

青木橋

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青木橋

平田川に架かる青木橋。高台に東洋鋼鈑天王台アパートが見える。

現在の様子

青木橋

御田頭祭

御田頭祭 1 画像

御田頭祭 1

花岡八幡宮の御田頭祭。水稲耕作の豊就や夏の病難よけを祈念して、肩に神輿をかつぎ、朝から夕方まで、末武郷中を縦横くまなく神幸する。神事を行っているところ。
御田頭祭 2 画像

御田頭祭 2

花岡八幡宮の御田頭祭。水稲耕作の豊就や夏の病難よけを祈念して、肩に神輿をかつぎ、朝から夕方まで、末武郷中を縦横くまなく神幸する。神事を行っているところ。
御田頭祭 3 画像

御田頭祭 3

花岡八幡宮の御田頭祭。水稲耕作の豊就や夏の病難よけを祈念して、肩に神輿をかつぎ、朝から夕方まで、末武郷中を縦横くまなく神幸する。神事を行っているところ。
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御田頭祭 4

神事・奉納が終り、神輿を担いで次の地点を目指し出発。
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御田頭祭 5

平田川沿いを進む御田頭祭(ごでんどうさい)の神輿。右に建設中の警察アパートと造成中の若草台が見える。奥に見える山は、左が城山、中央が北山。
御田頭祭 6 画像

御田頭祭 6

青木橋を渡る御田頭祭(ごでんどうさい)の神輿。高台に天王台アパートが見える。

末武中学校

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末武中学校 1

末武中学校運動会。
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末武中学校 2

末武中学校運動会。右手に、天王台アパートが見える。
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末武中学校 3

末武中学校。昼休みなのか、たくさんの生徒が運動場に出ている。

徳山酸素

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徳山酸素

薪割りの風景。後方の塀に徳山酸素の文字が見える。徳山酸素は、1965年に大阪酸素工業と合併した。現在のマックスバリュ末武店辺り。

平田全景

平田全景 画像

平田全景

左に天王森古墳、日石貯油所のタンクが見える。

大海町

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大海町 1

大海町橋付近の平田川沿いを行進する第14回全日本総合ハンドボール選手権大会パレード。
大海町 2 画像

大海町 2

大海町橋付近の平田川沿いを行進する第14回全日本総合ハンドボール選手権大会のパレード。
大海町 3 画像

大海町 3

市内一周駅伝で、大海町橋付近を走る東洋鋼鈑の選手。大阪屋精肉店、田村食料品店が見える。

さばら

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さばら 1

平田川河口で、夏、土用の一日を選んで行われていた沙婆羅(さばら)。
この近辺だけでなく、米川・八代方面からも、多くの人と牛がやって来て、牛に海水浴をさせ、寄生している虫を駆除したり、長い農耕の労苦をねぎらっていた。川につかる牛の集団や人と牛の長い行列は、見ごたえがあった。
さばら 2 画像

さばら 2

平田川河口で、夏、土用の一日を選んで行われていた沙婆羅(さばら)。
この近辺だけでなく、米川・八代方面からも、多くの人と牛がやって来て、牛に海水浴をさせ、寄生している虫を駆除したり、長い農耕の労苦をねぎらっていた。川につかる牛の集団や人と牛の長い行列は、見ごたえがあった。
さばら 3 画像

さばら 3

平田川河口で、夏、土用の一日を選んで行われていた沙婆羅(さばら)。
この近辺だけでなく、米川・八代方面からも、多くの人と牛がやって来て、牛に海水浴をさせ、寄生している虫を駆除したり、長い農耕の労苦をねぎらっていた。川につかる牛の集団や人と牛の長い行列は、見ごたえがあった。
さばら 4 画像

さばら 4

平田川河口で、夏、土用の一日を選んで行われていた沙婆羅(さばら)。
この近辺だけでなく、米川・八代方面からも、多くの人と牛がやって来て、牛に海水浴をさせ、寄生している虫を駆除したり、長い農耕の労苦をねぎらっていた。川につかる牛の集団や人と牛の長い行列は、見ごたえがあった。
さばら 5 画像

さばら 5

平田川河口で、夏、土用の一日を選んで行われていた沙婆羅(さばら)。
この近辺だけでなく、米川・八代方面からも、多くの人と牛がやって来て、牛に海水浴をさせ、寄生している虫を駆除したり、長い農耕の労苦をねぎらっていた。川につかる牛の集団や人と牛の長い行列は、見ごたえがあった。
さばら 6 画像

さばら 6

平田川河口で、夏、土用の一日を選んで行われていた沙婆羅(さばら)。
この近辺だけでなく、米川・八代方面からも、多くの人と牛がやって来て、牛に海水浴をさせ、寄生している虫を駆除したり、長い農耕の労苦をねぎらっていた。川につかる牛の集団や人と牛の長い行列は、見ごたえがあった。
さばら 7 画像

さばら 7

平田川河口で、夏、土用の一日を選んで行われていた沙婆羅(さばら)。
この近辺だけでなく、米川・八代方面からも、多くの人と牛がやって来て、牛に海水浴をさせ、寄生している虫を駆除したり、長い農耕の労苦をねぎらっていた。川につかる牛の集団や人と牛の長い行列は、見ごたえがあった。
さばら 8 画像

さばら 8

平田川河口で、夏、土用の一日を選んで行われていた沙婆羅(さばら)。
この近辺だけでなく、米川・八代方面からも、多くの人と牛がやって来て、牛に海水浴をさせ、寄生している虫を駆除したり、長い農耕の労苦をねぎらっていた。川につかる牛の集団や人と牛の長い行列は、見ごたえがあった。
さばら 9 画像

さばら 9

平田川河口で、夏、土用の一日を選んで行われていた沙婆羅(さばら)。
この近辺だけでなく、米川・八代方面からも、多くの人と牛がやって来て、牛に海水浴をさせ、寄生している虫を駆除したり、長い農耕の労苦をねぎらっていた。川につかる牛の集団や人と牛の長い行列は、見ごたえがあった。
さばら 10 画像

さばら 10

平田川河口で、夏、土用の一日を選んで行われていた沙婆羅(さばら)。
この近辺だけでなく、米川・八代方面からも、多くの人と牛がやって来て、牛に海水浴をさせ、寄生している虫を駆除したり、長い農耕の労苦をねぎらっていた。川につかる牛の集団や人と牛の長い行列は、見ごたえがあった。
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さばら 11

平田川河口で、夏、土用の一日を選んで行われていた沙婆羅(さばら)。
この近辺だけでなく、米川・八代方面からも、多くの人と牛がやって来て、牛に海水浴をさせ、寄生している虫を駆除したり、長い農耕の労苦をねぎらっていた。川につかる牛の集団や人と牛の長い行列は、見ごたえがあった。
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さばら 12

平田川河口で、夏、土用の一日を選んで行われていた沙婆羅(さばら)。
この近辺だけでなく、米川・八代方面からも、多くの人と牛がやって来て、牛に海水浴をさせ、寄生している虫を駆除したり、長い農耕の労苦をねぎらっていた。川につかる牛の集団や人と牛の長い行列は、見ごたえがあった。
さばら 13 画像

さばら 13

下松工業高校前を通るさばらの行列。
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さばら 14

下松工業高校前を進むさばらの行列。
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さばら 15

平田川沿いを下るさばらの行列。後方にJRの鉄橋、大海町橋が見える。
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さばら 16

中国電力の埋立工事が終わり、仮設橋、配管が見える。
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さばら 17

船の上で、行われる神事。
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さばら 18

牛をきれいに洗っている。
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さばら 19

船の上で、行われる神事と川の中を歩く牛の行列。
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さばら 20

平田川沿いを下るさばらの行列。

潮干狩り

潮干狩り 1 画像

潮干狩り 1

平田川河口では、中国電力の埋立工事が行われる前は、潮干狩りをする人が多くいた。
潮干狩り 2 画像

潮干狩り 2

平田川河口では、中国電力の埋立工事が行われる前は、潮干狩りをする人が多くいた。
潮干狩り 3 画像

潮干狩り 3

平田川河口では、中国電力の埋立工事が行われる前は、潮干狩りをする人が多くいた。
潮干狩り 4 画像

潮干狩り 4

平田川河口では、中国電力の埋立工事が行われる前は、潮干狩りをする人が多くいた。
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潮干狩り 5

平田川河口では、中国電力の埋立工事が行われる前は、潮干狩りをする人が多くいた。

中国電力埋立

中国電力埋立 1 画像

中国電力埋立 1

中国電力下松発電所埋立工事。1960(昭和35)年3月に中国電力火力発電所の誘致が決まり、1962(昭和37)年11月1日の第1期工事に向けて、平田川河口沖の埋立が行われた。この辺りは、潮干狩りが行われていたところである。
中国電力埋立 2 画像

中国電力埋立 2

中国電力下松発電所埋立工事。1960(昭和35)年3月に中国電力火力発電所の誘致が決まり、1962(昭和37)年11月1日の第1期工事に向けて、平田川河口沖の埋立が行われた。この辺りは、潮干狩りが行われていたところである。
中国電力埋立 3 画像

中国電力埋立 3

中国電力下松発電所埋立工事。1960(昭和35)年3月に中国電力火力発電所の誘致が決まり、1962(昭和37)年11月1日の第1期工事に向けて、平田川河口沖の埋立が行われた。この辺りは、潮干狩りが行われていたところである。
中国電力埋立 4 画像

中国電力埋立 4

中国電力下松発電所埋立工事。1960(昭和35)年3月に中国電力火力発電所の誘致が決まり、1962(昭和37)年11月1日の第1期工事に向けて、平田川河口沖の埋立が行われた。この辺りは、潮干狩りが行われていたところである。
中国電力埋立 5 画像

中国電力埋立 5

中国電力下松発電所埋立工事。1960(昭和35)年3月に中国電力火力発電所の誘致が決まり、1962(昭和37)年11月1日の第1期工事に向けて、平田川河口沖の埋立が行われた。この辺りは、潮干狩りが行われていたところである。
中国電力埋立 6 画像

中国電力埋立 6

中国電力下松発電所埋立工事。1960(昭和35)年3月に中国電力火力発電所の誘致が決まり、1962(昭和37)年11月1日の第1期工事に向けて、平田川河口沖の埋立が行われた。この辺りは、潮干狩りが行われていたところである。
中国電力埋立 7 画像

中国電力埋立 7

中国電力下松発電所埋立工事。1960(昭和35)年3月に中国電力火力発電所の誘致が決まり、1962(昭和37)年11月1日の第1期工事に向けて、平田川河口沖の埋立が行われた。この辺りは、潮干狩りが行われていたところである。

中国電力

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中国電力 1

塩田が広がる中国電力下松発電所建設予定地全景。現ゆめタウン下松(中央町)の位置に、日本石油のタンクが見える。
『写真でつづる25年』(中国電力株式会社下松発電所発行)より
中国電力 2 画像

中国電力 2

完成した中国電力下松発電所全景。この頃、日本石油のタンク跡地は日石広場になっていた。昭和30年代、田んぼだったところには家が建ち並んでいる。
『写真でつづる25年』(中国電力株式会社下松発電所発行)より