どき・土器の樹!

 どき・土器の樹!では、長野市内出土の縄文土器と弥生土器を3点ずつ用意しました。
 縄文時代は「狩猟採集の時代」といわれ、狩りをして獲物を得たり、木の実などを集めたりして暮らしていました。この時代に使われた土器が縄文土器です。
 弥生時代は「水田農耕の時代」といわれ、田んぼで米を栽培して暮らしていました。この時代に使われた土器が弥生土器です。
 縄文土器が使われた縄文時代と弥生土器が使われた弥生時代では人々の生活スタイルが大きく異なっていて、「器(うつわ)」である土器も違っています。
 全体の形や表面の文様などを比較して、違いを探してみてください。

縄文土器

縄文土器 浅鉢

縄文土器じょうもんどき 浅鉢あさばち

 長野市檀田遺跡から出土した縄文土器の浅鉢(あさばち)です。内外面に赤色顔料が塗布されていて、特に内面には赤色顔料により大の字・蕨手・花弁状などの文様が描かれていたことから「彩文浅鉢形土器(さいもんあさばちがたどき)」と呼ばれています。
 檀田遺跡では本例を含めて「彩文浅鉢形土器」は墓(土壙墓 どこうぼ)から出土していて、埋葬に関わる特別な土器であった可能性が考えられます。

縄文土器 深鉢

縄文土器じょうもんどき 深鉢ふかばち

 長野市旭町遺跡から出土した縄文土器の深鉢(ふかばち)です。

縄文土器 深鉢

縄文土器じょうもんどき 深鉢ふかばち

 長野市檀田遺跡から出土した縄文土器の深鉢(ふかばち)です。

弥生土器

弥生土器 高杯

弥生土器やよいどき 高杯たかつき

長野市篠ノ井遺跡群から出土した弥生土器の高杯(たかつき)です。高杯は食べ物などを盛りつけるための器ですが、この高杯は器高が約30センチメートルととても大きいことから、神社などでみられる「供物・神酒・水」など神様へのお供え物を載せた三方(さんぽう)のように、祭りの際に供物をささげるために使われた可能性も考えられます。
 全体が赤く塗られ、脚部には三角形の窓(スカシ孔)が四方に開けられています。今からおよ1900年前の弥生時代後期・箱清水式土器の特徴がよくみられます。

弥生土器 甕

弥生土器やよいどき かめ

 長野市高野遺跡から出土した弥生土器の甕(かめ)です。甕はやかんのように水を沸かす、炊飯器のようにお米を炊くなど煮炊きに使用したもので、直接火があたった痕跡が観察できます。この土器には見られませんでしたが、底に「おこげ」が残っている例もあります。
 甕は壺や高杯のように赤く塗られることはなく、表面に櫛状工具を使用して波状文(はじょうもん)や簾状文(れんじょうもん)と呼ばれる文様が施文されています。今からおよそ1900年前の弥生時代後期・箱清水式土器の特徴がよくみられます。

弥生土器 壺

弥生土器やよいどき つぼ

 長野市石川条里遺跡から出土した弥生土器の壺(つぼ)です。壺は液体や穀物などを入れて貯蔵することに用いられましたが、この壺は高さが64センチメートルととても大きいことから、祭りなど特別な場所で使用されたものかもしれません。
 大きく開いた口縁部と胴部は赤く塗られ、細くなった頸部には櫛状工具を用いて横線文とそれに直交する波状文が施されています。文様の組み合わせは珍しいものとなりますが、今からおよそ1900年前の弥生時代後期・箱清水式土器の特徴がよくみられます。

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