稲作のムラ

約2500年前頃に九州北部に伝来した水稲耕作技術によって、縄文時代の自然経済から生産経済に移行しました。 長野盆地に水稲栽培技術が波及したのは、約2100年前頃でした。千曲川流域の後背湿地に水田を開き、自然堤防に集落を営むという現在につながる農耕集落景観が成立しました。
 3世紀頃になると各地に定着した農耕村落は、次第に統合されて千曲川流域には独自の地域圏が形成されました。

銅鉾及び石製模造鉾

松節遺跡(長野市篠ノ井塩崎)出土とされる。銅鉾の鋒部分にあたる。 弥生時代後期の広形銅鉾とする見解もあるが、 全体の形状が直線的であり、 一段階前の弥生時代中期の中広形銅鉾である可能性が高いものと思われる。現在のところ長野市内で出土した唯一の弥生時代青銅製武器型祭器である。

銅鉾及び石製模造鉾

松節遺跡(長野市篠ノ井塩崎)出土とされる。銅鉾を模造した石製模造鉾として市の文化財に指定されているが、 磨製石剣の可能性が高い。材質や側縁刃部・断面の形状から、縄文時代晩期の石剣を弥生時代に磨製石剣として再利用したものと考えられる。

馬形帯鉤(浅川端遺跡)

 

水鳥形土器(塩崎遺跡群)

 

壺形土器(塩崎遺跡群)

 

無頸壷形土器(塩崎遺跡群)

 

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