信濃国の成立

日本で最初に整備された法律である『大宝律令』が701年につくられ、7世紀後半以降中国の政治制度をもとに進めてきた中央集権的国家の枠組みがほぼ完成しました。  信濃国では、国郡里制のもとに10郡がおかれ、長野盆地には更級・水内・高井・埴科の4郡に29の郷(里)が置かれました。
 最近の千曲市屋代遺跡群の調査では、この遺跡周辺に埴科郡家(はにしなぐうけ)(郡の支配を行う役所)や初期国府の存在が想定されています。

蹄脚硯(県町遺跡)

昭和四十四年の県町(あがたまち)遺跡(県町576番地)調査で、奈良時代のものと考えられる掘っ立て柱の建物跡の柱穴の一部から、破片で発見された。

風字硯(大室村北遺跡)

大室村北遺跡から発見されたもので、その形態からこの名がついた。平安時代のものとされる。

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